【火影】蠍の死と脇役について

 最近は221集から猛見てる。さっぱりだ。我愛羅が死んだと思ったとたんに、すぐ復活しちゃった。ABはいつもわれらの涙を騙す。そしてあの孫と婆は死んだ。僕は蠍のことがすきだ。自分と似てると思う。しかし僕は父母も兄弟もいるし、何処が似ているかわからぬ。たぶん心か、あの孤独な心。くだらない人生、死ぬことまでもくだらない、っていう絶望。

これは二週目かな、白夜行を見るのは。1日半をかかって見た、やっぱり好きになれなくて、感情が薄い。
后期は大学時代に図書館でたまたまこの本に出会ったの、その時はもうとても著名な文章って言われて、まあ、ちゃんと読んだことじゃなかったけど、ちなみにこのドラマもみた。その時はあの人とまた関わっていたのでこれについても話したことができた。だけど、あの人は全然知晓できなくてさ。まあ、あの時はもう「相性がない」ってわかったら良かったのに、少し後やっと気づいたのも悪くなかったけど。
単に雪穂と亮司の関係には認める。あたしにはこんな物語も嫌いじゃないから。子どもの頃には三人の間にただの純砕な関係だったと思われるけど、時の流れにいつか人が変わってるのよ。お互いにコントロールして、またコントロールされて、そういう関係に夢中して、引きずって。自分が「向こうの幸せのためにこれをやったの」って言いながら、自分の手を汚すのは悲劇的な話だけど、本当は全然相手に幸せになれないじゃない?雪穂が篠塚に一目惚れになった時の亮司も、「親友をやってくれて」と言う願いを亮司に断られた雪穂にも、これは全て「あの時罪を共有したから、これからも付き合ってくれ」って言う気持ちを持ってるからのだ。まあ、「雪穂はほんとに亮司のことを愛していたのか」ってよく質問にされても、確か個人的な角度からこの4位は笹垣が言った「共生する」生き方じゃないと思ってるけど、亮司にとって雪穂はその唯1の1个人なんだから、裏切られたら怒るけどやっぱり手を離さないから。でも、雪穂には?
このドラマを見て、嫌な気持ちがあったのは、やっぱり雪穂はどこかで自分と似ているじゃないかしら?多分1週目の時もなんとなく気づいたんだ。雪穂は幼い頃のせいで周りの人に悪意を持っていた。自分こそ不幸だ、被害者だから、ほかの人は自分よりいい生活をしているのは許さないって。と同時、輝くものに憧れてる彼女は綺麗で、賢くて心遣くて壹歩1歩自分の夢に近づいていた。表面包车型大巴には、彼女はどんな手を使っててもお金やパワーるとかをもとめる女だけど、実は手にいられないものに欲があるかも。で、その相手は残念ながら同じ年の亮司だった、頭が良かったかもしれんが、四位きりの場合には雪穂に振り回されて、こんな姿で雪穂に安全感とか全然なかったから、雪穂は強くになるしかなかった。多分やっぱ何かがあると思うけど、「亮のやったことは全てあたしのために、あたしのやったことも全て亮のためだから。」そんなのは少しずつ安心になれるかな。
結局三个人でその闇に堕ち続けていた。どこかでとても似ていた。あたしにはその真っ暗な時間に、あの人はあたしの太陽さえもなれなかった。あたしの困ってる時にもただそばにいて、何もできずあたしの涙顔をじっと見たしかなかった。外から見られると、あの人は強かったかも、でも私に何もくれなかった、何もできなかった。最後には終わるしかなかった。
また、ドラマでその図書管理員は偽もの過ぎた。そんなにほかの人のことを熱心に気になった人はいないわよ。その笹垣のことも、なんで全ての事件はその四位に関わラなきゃならないの?ちょっと極端じゃない?最後には亮司に良いことを褒め、悪いことを言い出しのもあんまり神様みたいだね。とても邪魔!視聴者たちが馬鹿にしそう。(o´Д`)
なんとなく、見直したのは良かったと思ってる、もう一度あの時の自分を見返して、二度とああいうバカなことをしないほうがいいって。これで私旅立つから。

力強く羽ばたいていた金色の翼。それが今にも宿主を器から引き離し離れてしまいそうで、恐ろしかった。

天国への階段

 

ノックして扉を開ける。寝台に横になって、部屋の主は微睡んでいるようだった。こちらに気づいて、顔が向けられる。

白薔薇はその葉を噛んでも白薔薇の香ひがする。

  で、勉強時間だ!ここで「脇役」について『死神』と比較して見よう。なぜかというと、死神は主役らの物語だ。例えば茶度、石田などの脇役はいつも我に忘れられる。戦闘しても、馬鹿な敵と対戦する。しかし壹護らはいつも一番強い敵を配ってやる。作者の方から見ると、脇役は切れ端だ、弱くて馬鹿馬鹿しいやつらだ。それと違って、『火影』には、脇役は常々強い敵と対戦する。例えば凱班、紅班、アスマ班のやつらは出場機会も少なくはない。それはまさに脇役を尊重してるとわしは思う。小编は文章の中の脇役を尊重することこそ、自分の小说を尊重していることだ。これがわしの僅かな感想。で、またね!

木漏れ日に照らされる白皙の美貌は、ここ数日で見た中ではよい顔色だ。

その香ひは枝にも根にも創られてゐる。

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起こして申し訳ないと謝罪すると、くすくすと笑った。

花とはじめて香ひが開くのではない。

「よい。ただぼんやりしていると退屈だから、話し相手にでもなって欲しい。」

白薔薇の香ひそのものがその花を咲かすのである。

「小官で宜しければ。」

手についた香ひなら墓場まで持つてゆかねばなるまい。

元より、そのつもりで足を赴けた。

――― 天国への階段 ―――

寝台の横に椅子を置いて、腰掛ける許可を頂いて、持ってきた箱をテーブルに置く。

闇に浮かび上がる、色。

「睡眠時間を削って、押し付けられた仕事を片付けていた中級军士长だった頃のぶんの睡眠を、いま与えられている気分だ。」

くっきりと滲むことのないそれは、白い薔薇の花。

じっとしているのが落ち着かない性分で、何かしているほうが気が楽だと冗談半分に言う。確かにそうなのかもしれない。

高貴で気高く清らかな様は、他を寄せ付けない孤高の輝きがある。そして、誰をも酔わせてしまう甘い芳香は、危険な誘い。一度嗅いでしまえば、甘い痺れとともに、逃れることを赦さない麻薬となる。

ずっと走り続けてきた人だ。脇目も振らずに只管に、約束のために。

危険な花。近寄ってはならない危険な花。けれどもそれ故に人は、魅了され膝を折る。自ら服従されたくて、支配されることを望んで。

覇気に満ち溢れ、常に燃え盛る蒼い焔のようで。その燃料は自身の命であったのか。

この花にはそれだけの価値がある。力があるのだ。傍にいたくて、手に入れたくて。思わず手を伸ばしては、血を流す。触れる勇気があるならば、相応なる覚悟を持ち、否応なく襲ってくる棘の攻撃に身を晒らし、価値に似合うだけの代償を払わねばはらない。けれども不思議とその痛み、苦しささえも快感に思えるのだ。

純白のマントを翼のように風に靡かせ、凛とした声で数万の敵を迎え撃ち、突撃し、戦火に照らされる姿は例え様もなく美しかった。

魅惑的な花。やわらかな、しとやかな花びら。誘われるままに触れたなら最後、どんなに丁寧に扱おうとも傷ついてしまう、儚いそれ。

最早、二度とそれを目にすることは叶わず、あれほどに苛烈だった光は、今は穏やかで。冬場に雲に隠れがちな日の仄白い陽光に似ていた。

业已でいい。その極上の花びらを、思う存分愛撫し、清らかな純白を、官能と情熱の紅に染めてみたい。

【火影】蠍の死と脇役について。もう、夏場に近付いているのに。

己が紅に。己が為だけの、紅に染めてみたいのだ。

窓を開け放って、日当たりのいい場所で取り留めのない会話をする。こんな時間が訪れるなど、誰が予測できただろう。

この手で、この唇で、そして―――報われることない、愛で。

緩やかに時が流れて、それに時折、笑い声が混じる。それは本来、喜ぶべきものなのに不安が募った。

――― 天国への階段2 ―――

先日も呼吸が停止して、あの時は危うくも死神との握手を振り払った。否、死神でなくかのヴァルハラに住まう者たちかもしれない。懐かしい者も居るが、まだ彼を連れていって欲しいとは思わなかった。その中に赤毛の青年がいたとしても。

「閣下!」

箱からジュレを出す。色とりどりのそれは甘さも控えめで、食欲が失せる時にも喉通りがいい。最近はめっきり食事も摂らず――――――というより摂れぬらしい――――――輪郭がいっそう細くなったように見受けられた。勧めると、少し困ったように微笑んで、それでも銀の匙と一緒に受け取って貰えた。

「騒ぐな。負傷したのは俺だ。卿ではない」

一口分を掬って、自分などでは決してそんな風には真似出来ない(しようとも思わない)優美さでこくりと飲み込む。

瞬間、左半身を貫いた衝撃に、痛みは感じなかった。むしろ、突き抜けた、という生々しい実感だけが全身を戦慄かせた。

季節外れだが白葡萄を使ったジュレの味は、お気に召したようだ。薄い唇は緩く曲線を描いた。

王国元帥オスカー・フォン・ロイエンタールは、黒煙の漂う旗艦で部下を冷静に窘めてから、額に乱れた髪を、殊更優雅な手つきで整えた。

半分ほど召し上がって、テーブルに戻す。これ以上は、点滴やサプリメント、錠剤ばかりになってしまっている彼には苦痛でしか無いだろう。箱に戻し、近侍に冷蔵庫に入れるように頼んだ。再び背を、枕をいれて頭側を上げたベッドにもたれさせ、彼は細く息を零す。

途端、火のついたような激痛が襲う。全身を針で串刺しにでもされたように、動くことも呼吸さえもままならない。

「すみません。疲れましたか?」

視界の端に映る不自然なそれ。貫くはセラミックの細い矢のような破片。折からの爆発で吹き飛んだ艦の一部が、深々と鎖骨の上に刺さっていた。

「いや、構わぬ。寝ているだけ、という方が疲れるのだ。卿も入院して寝台に拘束された期間があったのだから、その苦痛は理解できると思うが?」

「副官の任務に、上官に代わって悲鳴を上げるというものはなかったはずだぞ」

悪戯っぽく目を細めて言われて、頭を掻いた。

痛みが激しいと、人は状況が呑み込めず、案外冷静でいられるものかもしれない、とまるで他性欲のように分析した。だが、このままにしておくこともできない。出血のことを考えるならば、維持した方が得策だが、串刺しにされたまま、という無様な格好は、彼のプライドが許さなかった。

「それに寝て起きたとき、今は何時なのか、此処が何処であるのか・・・時折、失念しそうになる。まだ老人になったつもりは微塵にも無いのだがな。ああ、そうだ。そう言えば向こうの部屋の棚に、いいウィスキーがあった筈だ。卿にやろう。」

破片に手をかけ、ぐい、と引く。破片の動きと肉とが、妙な摩擦を起こし、その不快感に眉間に皺を刻んだ。

「宜しいのですか?」

傷口から迸る鮮血が、見る間に軍服を濡らしてゆく。

「どうせ、予は飲めぬ。」

「ふむ。瞳や肌色がどうであれ、血の色は万人が同じか……」

その時の笑顔は、郷愁のような、一抹の寂しさを孕んでいた。風に髪が揺れる。頬にかかったそれを真白い指が払い退けた。

両手を深紅に染めて、自嘲気味に笑う。自分の肉体を傷つけた破片に怒りをぶつける訳でもなく、何事もなかったように平然と投げ捨てた。

飲めない、というのは酒が強すぎてという意味でないのは、直ぐそれと知れて、手を強く握り締める。

滴る紅い血。それは貫かれた背と胸から迸り、床に広がった。

「宝の持ち腐れになるより良かろう。持って行くといい。」

目にも鮮やかな色は、不意に、彼にある人物の死を思い出させた。軍人になってからというもの、人の死など腐るほど見てきたはずなのに、このとき、床に広がる血とあのときの血が、脳裏で鮮明に結びついたのだった。

「・・・・・はい。」

ジークフリード・キルヒアイス。帝国元帥。天子の腹心であり、おそらくは、心許された唯1の―――男。

立ち上がり、隣室の扉を開けた。彼の住まう部屋は、凡そ豪華という言葉には届かない。歴代の皇帝に比べれば質素過ぎるくらいだ。華やかな装飾も煌びやかな調度品も彼は必要ない。使えるのであればそれこそ庶民のような品でよいのだ。実用性に重きを置いて、汚れやすかったり壊れやすいものより余程いいのだろう。そうさせないのは、“皇帝”という肩書きを重んじる者のためだ。

ガイエスブルグ要塞の大広間。突然の暗殺劇。そして、床に広がる鮮血。身を挺して命を救ってくれた幼馴染の死に、人目も憚らず、覆い縋った皇帝。自我を見失うほどに、深く傷ついた心。他の誰が死んでも、ああはならなかっただろう。

小さな隣室も、彼らしい、整えられて使いやすそうな部屋であった。棚には高級なワインやそれに見合うグラス、それとおそらくこのことだろう、重厚な琥珀色の小さなボトルがあった。どしりとした重さはボトルに比べれば不釣合いな気がした。

彼は、血に塗れた手を握った。不快な臭いをともなった感触のそれを見つめ、小さく息を吐いた。

それを手にとって、戻ろうとした矢先、咳き込む音がして急いでドアを開け放つ。

俺を失ったとき、あの方はどうだろうか。少しは悲しんでくださるだろうか。それとも、叛くなど馬鹿なヤツだ、と笑うだろうか。

寝台で、身を折り曲げるようにして口元に手をやって激しく噎せ、肩を上下させていた。駆け寄って、背を撫でる。落ち着いたか、と思えば、今度はくたりと力が抜けて、すっと体温が下がった錯覚を覚えた。

ぼんやりと考え込んだ脳裏に、皇帝の姿が浮かんだ。自らの亡骸に縋って泣く皇帝。豪奢な金髪が揺れ、白い頬に涙が伝っている。

「陛下!」

俺らしくもない、と誰気付かれることなく小さくかぶりを振った。別に悲しんで欲しい訳ではないし、失ったことを後悔してもらいたいのでもない。くだらん、そんな些細なことなどどうでもよいのだ。そのようなことに、我が命をかけた訳ではない。

肩を揺さぶるが意識は無く、呼び声にも答えない。顎を上向かせ、脈に触れると弱かった。瓶の蓋を開けてひとくち含む。

俺の死をもってしてこそ成しえる意味。命をかけるほどの、価値のあるもの。それがあると感じたからこそ、今、ここにあるのだ。

直ぐ手放した瓶が落ちて、床に琥珀色の水溜まりを生んだ。澄んだ硝子の砕け散る音も、耳に入らない。口移しで飲ませて、嚥下してくれたのに少し安堵する。

死と引き換えの、それ。

薄く目蓋が持ち上がって、金色の長い睫毛がぱちりと瞬いた。

俺の命、俺の全てをかけなければ成しえないもの。

見上げる宝玉のような蒼の瞳が、己の姿を移し込んだが、それは情けないにも程のある顔で。

それほどまでに、俺を占めているもの。

「そんな顔をするな、ミュラー。・・・折角やろうとしたのに、勿体無い使い方をさせてすまぬ。」

一度は手に入れた、と思ったときもあった。だが、その直後ハイネセン行きを命ぜられ、俺は俺なりにその意味を長い間考えていた。だが、明確な答えを見つけられぬまま、今、ここに至る。

口端の、飲み干せなかった酒を指の腹で拭って、薄く彼は笑んだ。床に散らばった飛沫に目を向けて、そんな言葉を呟くように言う。

本人の望むこととは裏腹に、叛逆の途は築かれていった。踏み外す間もなく、初めから歩むよう定められたように。

音に慌てて駆けつけた近侍に、それを片付けるのは後でいいと伝え、下がらせて、物言いたげな親衛隊長も扉の向こうに姿を消した。

事は全て自分の与り知らぬところで進められていた。けれども、他に途はあったはずだ。無様に嵌められたと知っても、矜持が許さぬだけで、何も自分から嵌ってゆくことなどない。それなりの行動を起こせば、関係を修復できたはずだ。にもかかわらず、そうしなかった理由。

「いいのです、陛下。私が飲むには、高すぎる代物であったでしょうから。」

見えそうで見えなかった、見えぬ糸。

「平民出身とはいえ、もう上級新秀なのだ、それなりの給料は与えているつもりだったのだが。足りぬか?」

叛逆の途へと繋がれていた糸は、何処へ続いているのか。

「いえ、とんでもない!そうではなくて」

脳裏に明滅する姿。俺を捉えて放さぬその姿。

言い淀むと、またくすくすと無邪気に彼は笑った。

ひるがえる、白いマント。

「卿はいちいち反応が面白いから、つい揶揄ってしまうな。許せ。」

風になびく、金色の髪。

「お人が悪いですよ、陛下・・・。」

そして―――冷たく、凍った蒼氷色の瞳。

「だから許せと言っているじゃないか。」

実力もない覇者が打倒されることは、当然のことだからな……と、語った後の渇いた笑い声が蘇る。

幾らか砕けた口調になって、ようやく笑いが治まると大きく息を吐き出した。

実力のない覇者。あの方に実力がないなど、あろうはずがない。いつでもその背中を見つめ、あの有翼獅子とともにありたいと、追い続けた。

白い寝巻きについた琥珀の染みに、少しだけ眉を寄せて釦を外していく。

焦がれ続けた、有翼獅子。

慌てて止める前にばさりと脱ぎ捨てられた。

大地を蹴り、その翼を宇宙に羽ばたかせた獅子。

矢張り少し痩せてしまったようだが、それでも失われていない神話像の大理石で出来た彫刻のようで、目に眩い肢体。着替えらしいものは近くに見当たらなかったので、上着を脱いで羽織らせた。

俺には眩しい―――ひと。

見慣れた黒に包まれた彼は、確かにどんな服でも似合うとは思うが一番腑に落ちる。

ロイエンタールは、見つめていた手から視線を外した。滴る鮮血が、生温かく肉体を包んでゆく。非常慢な臭いが鼻をつき、艦橋に悲愴感が忍び寄って来た。けれども从来に動じることはなく、眉間に深い皺を刻んで、金銀妖瞳の視線は宙を彷徨う。

「心配症め、白髪になってしまうぞ?」

不快な噂は耳に届いていた。埒もないこと、と一笑に付し、取り合うだけ彼らの思う壺ではないか、と浮かぶ二つの顔。

「そうしたら髪染めでも致しましょう。それでも、お傍に居させてくださいますか、マインカイザー?」

オーベルシュタインとラング。

尋ねると、彼は首を横に振った。

粛清対象者を記すとすれば、ヤツらのリストには、間違いなく作者の名前が1番に刻まれていることだろう。そして奇妙な罠を仕掛けては、小编が嵌るのを待っているに違いない。

「卿は連れていけぬ。まだ早い。」

おおよそ、この不快な噂の出所もその辺だろう。俺がじわじわと罠に嵌ってゆくのを楽しんでいるに違いないのだ。この巧妙さ、陰湿さこそオーベルシュタインらしいではないか。

「・・・・そうですか。」

作者を信じるのか、それとも噂を信じるか。その是非を問うために、ノイエ・ラントへ行幸を請う公式文書を出した。結果によっては、噂を一蹴できるはずだ。だが。

「ああ、そうだ。それに、まだやってもらわねばならぬ仕事はたんまりと控えているだろう。アレクの子守、銃の使い方に艦隊指揮の指導だろう?それに他にも色々と・・・探せば見つかることだろう。人生が豊かそうで何よりだ。」

何者かが、事態を最悪の方向へ糸を引いている。

貴方ほど短い時間に詰め込まれていない、とは胸の内だけで反論した。指折り数え、まだあるんじゃないかと語っている、その少し濡れた唇に触れる。

ウルヴァシーとは何か。ルッツが死んだとは如何なる意味か。いつまで経っても皇帝の身は保護できず、グリルパルツァーは真相を報告してこない。

「陛下、」

何故か。

近づけようとして、温度の低い指先が押しとどめた。

何故か。

「うつったらどうする。」

このままでは……このままでは、叛逆者になってしまうではないか。俺は、自身の考えで叛逆者になるのは一向に構わんが、ヤツらごときの手に落ちるなど、真っ平だ。

「医師は、原因も治療法も無いと言っていました。もし、私の口付けで病が此方にうつるのであれば光栄です。」

叛逆者……。

「馬鹿を申すな、ミュラー。卿が倒れれば他の者がそのぶん苦労する。止めておくことだ。」

叛逆?

「構いません。」

俺があの方に、何故叛かねばならんのだ。

尚も言いたがる口を自分のそれで塞いだ。先程飲ませたアルコールが舌を甘く焼く。

俺は、あの嵐の夜。全身の血が逆流する衝撃を受けた。生娘のように身体が躍り、胸は激しく高鳴った。生まれて初めて膝を折りたい―――この人とともに駆け上がりたい、と望んだ。

くぐもった吐息を唾液ごと飲み込んで、呼気と共に病魔を吸えればどれ程いいだろうか。髪に指を差し入れて、深く深く貪りながら、そんな埒もない考えを抱いた。

あの、強烈な光に焦がれたのだ。心に秘めた夢と、大いなる野心であの方は輝く。内なる強さをもって、眩しいほどに光輝く。金色の髪も、白く艶やかな肌も。そして何よりも、あの蒼氷色の瞳が鮮烈に。

「・・・・あとでどうなっても、知らないからな。」

焦がれるままに、あの方について来た。

「承知の上です、陛下。」

笔者の全知全能を尽くして。

静かに身を離す。視線を手の上に落として、彼は小さく嘆息した。ゆるゆるとかぶりを振り、金色の燐光を空中に撒く。

あの方に必要とされたい一心で。

「本当に、莫迦だな。」

あの方の期待に応えるべく、すべてをかけて。

笑おうとしてみせたのか、僅かに口元は引き攣っていた。

俺にしか出来ぬこと。

「そろそろ、親衛隊長や医師が目くじらを立てるでしょう。これで、失礼致します。」

俺だから出来ること。

「本当に失礼された気分だ。」

愛している―――と、微かに聞こえた声。

ぶうと頬を膨らませ、目を尖らせる。子供っぽい仕草だったが、美は損なわぬのだから熟熟凄いと思えた。苦笑を返して、一礼し扉へ向かう。

けれども、その数時間後には謝罪の言葉。小编を遠くに追いやり、本身に次ぐ強大な権力を持たせた。

「ミュラー、」

俺にどうせよ、と言われるのか。

名を呼ばれて振り向けば、寝台に身を横たえたままで、上着を指さした。

俺に何を期待し、求めているのか。

「これは後で洗って返す。それを取りに、足労だがまた来てくれ。」

この権力は、本当にノイエ・ラントの治安のためか?
ならば敵は何処にいる。ヤンは死んだ。後継者とやらはいるが、あの艦艇数に対して、この軍力が必要か?
後継者を、ヤンと同等の策士と思うておいでなのか?
テロリスト、一般人を制圧するための軍事力とは、到底思えん……。

「御意に御座います。」

だが。

また、と。そう願って扉から外に出た。

軍人たるもの、権力は欲しい。

不動の姿勢で立っている赤銅色の髪の親衛隊長は、ちら、と一瞥して帰るように促す。

この乱世に身を投じたるもの、敵が欲しい。

「誰にも見られぬように、彼方の廊下から行くといいでしょう。」

自身に釣り合う、敵が。

「ああ、有難う。」

自分の力を発揮できる、舞台が。

礼を言って、軍靴で確りと床を踏みしめた。熱くなる目頭を抑えて足早に引き返した。

俺が思うのだ。

***

俺すら、思うのだ。ならば、非凡なる乱世の申し子が。あの方が思わぬはずは、ない。

「・・・・・約束を破るなんて、矢張り貴方は御人が悪いですね。」

ヤン・ウェンリー。

墓前に花を備える。花束を買うと言ったら、恋人にでもあげるのかと僚友に揶揄われた。或る意味では、それは正しいかもしれない。

ジークフリード・キルヒアイス。

自分だけの考えである、と取れなくもないが。

ミッターマイヤー。

「其方は、貴方が退屈しない場所でしょうか、国君。病床に縛り付けられていた時より、余程自由で、思う存分に英豪らの指揮権を執って御出でとは存じますが・・・くれぐれも無茶をなさってキルヒアイス大公を困らせぬようにしてください。」

そして―――作者。前者二名は既にこの世にはいない。ならば。

分かっている、と拗ねた声が聞こえないかと耳をすませる。聞こえるのは、冷えた風が通り過ぎる音だけだった。

ならば……。

「―――では、息災で。御武運を。」

声が、聞こえる。

また、と口にして。立ち上がった。

淋しく咽ぶ、声が。

ラインハルト・フォン・ローエングラム。私は、貴方が好きでした。

俺の名を、呼んでいる。

Ende.

噂を一蹴したかったのなら、行幸など請わずに、俺自身がフェザーンへ出向けば良いではないか。叛逆の罪に問われることを思えば、オーベルシュタインやラング如き取るに足らぬ。

グリルパルツァーが報告してこないのなら、クナップシュタインでも誰でも投入すれば、状況は解明出来たかもしれん。そうなれば笔者の疑いも晴れ、違う展開を見ただろう。そして、強大な軍事力を総動員しさえすれば、宇宙広しと言えど圣上の身柄も保護できたに違いない。

違い、ないのだ。

だが、俺はそうしなかった。

思わぬではなかった。確かに過ぎりはした。けれどもその度に、輝きの失せたあの方の姿が見えたのだ。

それは、あのときの薔薇の花と重なる。

本来生きるべき花瓶から、抜かれた花。

深い色の絨緞に落ちたそれは、萎れて泣いていた。

もう一度、生きるべき場所に戻せば水を吸い上げるだろうか。そうすれば、再び美しく咲き誇り、甘い香りを楽しませてくれるだろうか。

平穏な玉座ではない。

病に臥す、ベッドの中でもない。

本来、生きるべき場所。それは……。

そうか―――そうだ、と突如、視界が開けた。

心にもやもやと霧がたち込め、導かれる糸の先が見えずにいた。むしろ、その先には破滅しかないと知っていて、見ぬようにと目を逸らしていたのかもしれん。それが今、漸く見えたのだ。

わずかに口許を、笑みが彩る。

金銀妖瞳の瞳に、美观な鋭利さが戻った。

我が皇帝―――貴方は、俺とのことを忘れようとした。あの濃密な日々を、なかったことにしようとした。俺はそれでもいいと思った。貴方が望むのなら。貴方が望んでいるのならば、何事もなかったように忘れる決心をした。だが。

そう誓ってみたところで、忘れられようか。貴方の望むままに、演じられようか。俺は、俺の全身は、今でも貴方を愛している。この想いを忘れられようか。

ならば―――忘れられぬよう、刻んでしまえばいい。俺という存在を、あの方の心に刻み込んでやろう。嫌でも忘れられぬように。それが、俺の成しえる意味だ。この命をかける価値のあるものだ。そのためには、俺は手段を選ばん。

たとえそれが、無数の屍の山を築くことになろうとも。

たとえそれが、歴史に残る汚名であろうとも。

何もかも、望むところではないか。

ロイエンタールは、痛みをのもともせず立ち上がった。多量の出血は今も続き、激痛を伴っているのは瞭然たる事実なのに、その片鱗も見えない。

突き動かされるように、奮い立つ。全身が高揚し、涼しげな顔には、笑みさえ湛えている。

酔っている―――俺は酔っている、とそう彼は恍惚とした。

この驚くべき痛みの忘却は、一種の麻薬によるものなのかもしれない。だとすれば、それはおそらく皇帝に寄せる愛という名の、麻薬に違いないだろう。

駆けつけてきた軍医が、あわただしく治療を始めた。その横で、怒りで顔を真っ赤にしたレッケンドルフ少佐が喚く。

「閣下。グリルパルツァーに、あの裏切り者に思い知らせてやりましょう。卑怯者が堕ちる地獄の劫火に叩き込んでやります」

「放っておけ」

そんな雑魚など、どうでもよいのだ。俺は、己の成すべきことを成せればよれでよい。俺の命と引き換えに、それが成せれば、な。

「ですが……」

その為には、雑魚には雑魚の使い道がある。あの人が最も嫌うことをやってのけ、より我の存在を引き立たせるために、1役かって貰わねばならんからな。しかし、ヤツも愚かなことだ。たとえ生き残ったにせよ、軍人として最も惨めな最期が待っているというのに。まあ、今となっては、雑魚の行く末などどうでもよい。些細なことでも利用出来るものは、何でも利用すればいいさ。

「ここで生き残ったほうが、ヤツには返って不運だ。皇帝も、ミッターマイヤーも、あのような輩を赦しておくものか」

だが、心残りはある。命ある限り、俺の成すべきことに一真を貫くが、その成果を確かめることが出来ん。ヴァルハラとやらで、じっくり見物が出来るといいが。

「で、どうだ?」

「心臓と肺を結ぶ血管の一部が傷ついております。取り敢えず、凍らせて止血し傷口を接着しますが、早急に本格的な手術が必要でしょう」

軍医の所見を聞くまでもなく、彼は、本人の身体が置かれた状況を、11分清楚していた。

俺には華々しく玉砕、という思想はない。だが、人には相応しい死に様というものがある。少なくとも、生まれることを選べないのであれば、せめて死に様ぐらいは選びたいものだ。このオスカー・フォン・ロイエンタールらしい死に様をな。それには、無駄な手術などで、わずかな延命したとして、どれほどの意味があろうか。

「手術は好きじゃない」

「好き嫌いの問題ではありますまい。閣下、お命にかかわります」

強い口調で進言する軍医の声に、彼は眉を顰めた。ゆっくりと瞬いて、静かに吐息する。

彼らしい皮肉めいた笑みが浮かんだ。

俺は死ぬだろう。この戦いを始めたときから、それは決まっていた。だが、それは医務室のベッドの中ではない。

命を懸けたのだ。死と引き換えに得ようとするものは、あの方が知って嫌悪されぬ死に様でなければ、意味をなさないのだ。

「いや、好き嫌い以上の問題だ。軍医、俺にはパジャマを着て病院のベッドで死ぬのは似合わない。そうは思わんか?」

口籠る軍医を黙らせて、その場で出来る応急手当を急がせた。彼らしい死に様。オスカー・フォン・ロイエンタールという存在を、より鮮烈にさせる死に様でなくてはならない。全ては、命をかけた彼の満願のために。

このような真意を、誰も知らない。無論、知りえようはずもないが、知ったならば、誰がついて来ようものか。身を裂かれる思いで、父子兄弟同士殺し合ったのに、その真意が上官1人の情炎だと知ったらならば、死傷したものは浮かばれないだろう。

「ご苦労。他の負傷者の治療を頼む」

指揮シートを直させ、そこに腰をおろすと、艦橋を静かに見遣った。

各所に負傷者が見える。腕のちぎれた者、上半身だけで這っている者。母の名を泣き叫ぶ若い兵士達。地獄絵図さながらに、艦が焼ける臭いと、血の臭いが充満していた。

「閣下……」

命じられてテーブルを拭き終わった従卒が、半ば泣きそうな顔で上官を振り返った。お怪我に障ります。ご無理なさらないでください……と続けて、幼い顔を歪めている。

彼の憧れと羨望の的だった上官は、今や死の影をまとわせていた。幼い従卒は、驚きと恐怖と悲しみとが一度に押し寄せて来て、パニック寸前に陥っている。

「心配するな。それより軍服とシャツの着替えを持ってきてくれ。自分の血の匂いというやつは、五分も嗅いでいると飽きるものでな」

はい……と、緊張した声で頷く。彼は、テーブルを拭いた布巾をぎゅっと握り締め、踵を返した。上官の命令を忠実にこなすことで、平常を保とうとしたのだ。むしろ、上官のことだけを見て、他のことは忘れたい、と逃避したかったのかもしれない。

もはやわずかな兵しか残っていない。この急激な状況の変化に自分だけ取り残されたようで、うまく思考が回らなかった。この先どうなるのか、彼の短い人生の経験からでは答えが見出せない。ならば、行く末など考えるだけ無駄だ、と命じられるままに着替えを取りに走った。

つづき・・・

――― 天国への階段3 ―――

新帝国暦2年十九月15日。第3遍ランテマリオ会戦の渦中、負傷したオスカー・フォン・ロイエンタールは、惑星ハイネセンに帰還すべく、整然と海を渡り始めた。それは、彼の短すぎる人生の、終焉への旅を意味していた。

戦地を離れた艦は、粛然と帰途を行く。わずかな艦が列をなし、葬列のように深い哀しみを帯びて。そして、不安と絶望に呑み込まれて、最後の旅を続ける。

彼は指揮シートに身を預け、静かに瞼を閉じた。

俺は、とうとう叛逆者になってしまった。しかし、貴方なら気付くはず。今でなくとも、そう遠くない先では気付くだろう。

旧王朝を打倒し、同盟国を掌握し、そして好敵手ヤン・ウェンリーを失った今、貴方は死んでいるも同然。噂に聞く病さえも、それが原因ではないのか?

貴方は常に戦いを欲していた。戦いの中にこそ価値を見出し、生きる糧としていた。手ごわい敵が、自分の手で玉砕してゆくのを見て、あの蒼氷色の瞳を輝かせ、白い頬を高揚させていた。まさに、戦ってこそ、生きていることを証明していたのだ。だが。

それを与えてくる敵は、もういない。この広い宇宙を統治した瞬間から、目の前に立ちはだかる敵はいなくなったのだ。ならば、貴方はどこに生きる価値を見出すのだ?

俺の焦がれた、あの戦慄さえ覚える氷のような美しさはどこへゆくのか。もう、あの姿を見ることはできないのか。

ならば―――ならば、俺がこの手で……。

目を伏した眉間の皺が、より深まった。指揮シートの上で、知らぬ間に拳を握る。

目を閉じていても開いていても、振り払わんとかぶりを振っても、まとわりついて離れん。まるで耳許で聴こえるようだ。俺だけに見える姿で、俺だけに聴こえる声で……。

戦いたい―――と、淋しく咽ぶ貴方の声が。

渇く―――と、天に乞い、細い指を首に絡めてのたまう姿が。

鋭気は失われ、見る影もなく弱々しく細る身体。俺の焦がれた姿が損なわれてゆく。この宇宙で、唯一俺を虜にした高潔なる魂が枯渇してゆく。黙って見ているだけなど、俺には出来ん。

ジークフリード・キルヒアイスは、貴方にあたたかな安らぎと甘い愛撫を与えたに違いない。それを貴方は今も忘れられず、心に住まわせている。ならば俺は、激しい高揚と、熱い血を与えよう。これこそ貴方の望むものだ。血に餓え、戦いに餓え、病んだ身体が今か今かと待ち望んでいるものだ。弱り果てた精魂を再び高揚させ、あのガラスの瞳に魂を吹き込む。そして鋭利な刃物と化した眼差しを俺に向けさせ、俺を倒すためだけに、あの美術品のような身体を動かさせるのだ。

普通の恋人のような愛情を、俺は知らん。だから、俺には俺しか出来ん愛し方で、貴方を生き返らせてみせよう。この手で、貴方を悦ばせてみせよう。そうすれば。

澳门新葡萄京娱乐,あの瞳に映るのは―――俺だけになる。

だから、貴方は俺を忘れようとしても、忘れることは出来ん。俺が死しても、貴方の中で俺は生き続けるのだ。これが俺の、愛し方。そして、俺を忘れようとした貴方への、せめてもの仕返しだ。苦々しく思うがいい。忘れたくても、忘れられんだろう。

ああ、ミッターマイヤーの影で、高揚した貴方の姿が見えるようだ。さも自身が前線に立ち、指揮している気分だろう。熱に浮かされた頭でも、瞬時に状況を判断し、作戦を練り、指示を与え、あの細い身体を戦慄かせているに違いない。

―――逢いたい。

死ぬ前に一度、高揚した貴方を抱きたい。俺の焦がれた、野心に身を包み鮮烈な輝きを放つ、貴方に逢いたい。俺は、そうさせてやれただろうか。取り戻させてやれただろうか。出来ることならば、死ぬ前に一度、それを確かめてみたかった。

悔しさに、指揮シートの肘置きの上で拳を握った。思わず全身に籠めた力のせいで、じわり、と傷口に血が滲む。瞼を開けて辺りを窺ったが、誰も気付いている気配はなかった。

静かな指揮シートの中で、彼は再び瞼を閉じた。

暗闇に、あらゆる光景が明滅する。

初めて見た姿。ロウソクの炎に揺れる瞳。抜け殻の魂。凍る眼差しと艶やかな姿態。苦しげな横顔。どこまでも哀しく、俺を映さない眼……。幾多の場面が瞬時に巡った。

閉じた瞼が哀しげに動き、眉間の皺がいっそう深く刻まれた。

思えば、長いようで短かった日々。互いの心は斯様なまでに移ろいだものか……。

明滅する視界の中に、ヴァルハラへと続く階段が現れた。遥か彼方まで続くそれを見上げる。昇りきれば、間違いなく死の接吻を受けるだろう。けれども拒むことは出来ない。足が自然に昇ろうとするからだ。

彼は、一段昇った。

そしてゆっくりと瞬いた。俄かに瞠目する瞳。

身体が死を感じ取ると、過去のことが走馬灯のように蘇ってくるという。その中に生還できるヒントはないか、と無意識に捜し求めているらしい。彼もまた、例外ではなかった。

目の前に広がるは、あの頃の光景。これが死に近づくと言うことか、と目を細め、やがて穏やかに過去を振り返った。

雷鳴とどろく嵐の夜。淡いロウソクの光に反射する、眼光鋭き蒼氷色の瞳。これが高だが、十九の小僧か……と、彼は瞠目した。

生まれて初めて、心の底から美しい、と思った。言い寄ってくる女、夜会で会う淑女と称する女、そしてクラブで楽しませてくれる派手な女達、そのどれを取っても足許にも及ばない。何と表現すればいいのだろうか。

一点の汚点すらも許さない潔癖。同じ場所に立つのも躊躇われる、比類ない高貴さ。そして、触れることを拒む禁欲的な美。けれども、匂いたつ甘美な芳香は、気のせいだろうか。万人をも惹き寄せる毒気を含んでいるようだ。そして、術中に落ち惹き寄せられたら最後、膝を折らせる。服従を当然とし、傅かせるのだ。だが、その高潔さ故に、この手で汚してみたい衝動に駆られもする。

いけないこと。許されないこと、と思えばなお更手に入れてみたくなる。くもりがなければ、汚してみたくなる。俺が汚したのだという証明を残してみたくなる。

オスカー・フォン・ロイエンタールともあろうものが聴こえるか、この鼓動が、この脈が。熱く煮え滾った血が、全身を駆け巡っている。激しい雨と雷鳴は、今の俺の心を表しているようではないか。

俺は、生まれてからこの方、こんな感覚とは、無縁のものだと思っていた。冷めたというか、物事に夢中になるという感覚は、俺にはないものだと思っていた。幼いころ、母に疎まれ害されかけ、何事にも虚心ではいられなくなったのだ。それが、だ。

見ろ、指先が震えている。おかしいか、掌には汗をかいている。野心に彩られた蒼氷色の瞳が、俺を見つめるのだ。あの、強い信念の宿った眼差しが、俺を傅かせて。

ああ、見つけた。俺が膝を折るだけの価値のある人。

貴族の息子というだけで出世した、馬鹿な息子などではない。

噂に聞く、姉の寵愛ゆえに成り上がったような輩でもない。

己の才覚と力で、高みを目指す人。その頂点は、そこらに転がっているような、低いものではない。

供に歩めたなら、どんなにか意義のある人生が送れるだろうか。供に駆け上がれたなら、どこまで昇れるだろうか。供に行きたい、供に在りたい……。

思えば、俺が落ちたのは、あの時だったのだ。いや、それ以前に軍務省の廊下で見かけた。あの時はまだ、噂の人物か、とその外見を見るに留まっていた。だが、ミッターマイヤーの窮地を救うのに、あの方を選んだ時点で、俺の深層には、既に住み着いていたのだろう。しかし、今、思い出しても高揚する。こうして姿を思い浮かべただけでも、全身が高鳴る。

男女として知り合えたならば、とか。皇帝と臣下でなければ、とか。めぐり合わせを恨めしく思ったこともある。だが、今となっては、そうであったからこそ、これほどまでに深く愛してしまったのだと思える。だが。

あの方の傍にはいつもヤツがいた。ジークフリード・キルヒアイスが。そのときはまだ、二人の関係があの様なものだとは思わなかったし、俺自身、そこまで明確な感情ではなかった。それを一度に気付かされたのは、そう……あのときだ。

48八年一月四日、ガイエスブルク要塞。銃弾に倒れたキルヒアイスの清拭が行われようとしていた。本来は、遺体を医務室に運び、そこで傷の処置をして保存ケースに移すのが常なのだが、あのときは、とてもそれが出来る状態ではなかった。

倒れたキルヒアイスを放そうとしない閣下。他の誰をも近付けず、その死さえも受け入れようとはしなかった。見かねたミッターマイヤーが、閣下の肩に手を置いてその死を告げても、信じようとはなさらなかった。

まだ、あたたかい血に塗れた亡骸。それを抱えて放さない閣下。いたたまれなくなり、一人席を外す。そして、また一人席を外して、大広間には俺とミッターマイヤー、そしてオーベルシュタインだけになった。

名を呼び続けていた閣下は、その頃になると一言も話さず、ただ静かに亡骸を抱えていた。憎いほどの冷徹さで事態を見切ったオーベルシュタインが、軍医に指示を出し、広間で清拭を行おうとした。

遺体から閣下を引き剥がすよう言われ、俺は閣下の肩に手を置いた。脇からミッターマイヤーが静かな声音で言う。穏やかに眠らせてあげましょう……と。その意味が理解できたのか、それとも何も考えられなかったのか、促されるまま閣下は立ち上がった。そして、無表情に軍医の手許を見つめていた。

落ち着いている閣下に安堵したのか、二人はほどなくして退出した。後に残ったのは、俺と閣下のみ。一番やりたくない役柄のようでいて、誰にも任せたくはない役。この手で守れるものなら、この腕で支えてやれるものなら何でもしてみせようと、俺は傍らに立った。

黙々と軍医は血に塗れた軍服を剥ぎ取った。後ろから権力者が無言で見つめるせいか、緊張で手が震えている。

既に黒く変色した血液が、鍛え抜かれた筋肉にこびり付いていた。胸の辺りに開いた傷口が、無残に晒されている。軍医の手が、血を綺麗に拭ってゆく。何度もガーゼを替えて、綺麗に元通りの姿に戻してゆく。

ぼんやりと亡骸を見つめ続けるあの方。もはや光は失われ、重く落とした肩が、哀れに佇んでいる。その脇で、どう手を差し伸べればよいのか、迷い続けた俺。あの方の世界からは、軍医も俺も抹消されていたに違いない。

無残な傷口を塞ぐ。それを見る血の気のない、閣下の白い顔。瞬くことも、呼吸することも忘れたようだ。何と儚きものか。あれほど勇壮たる姿で前線に立っていた人が、今にも崩れ落ち、消え入ってしまいそうではないか。

手を掴んでいなければ、見失ってしまうかもしれない。声をかけなければ、どこか遠い世界に沈んでしまいそうだ。けれども、ただ、見守ることしか出来ない。不甲斐なき者よ、と己を罵りながら。

俺は重い吐息とともに、そっと腕を支えた。

不意に、抜け殻の足が半歩前に出た。蒼氷色の眼は瞠目し、明らかに今までとは違う反応を示している。不思議に思って様子を窺えば、閣下の視線が一点に釘付けになっているのに気付いた。

何気なく、その先を辿る。

驚倒するとは、この様な瞬間を表すに違いない。

それはキルヒアイスの胸に残る、鮮やか紅い痕。この俺が見紛うはずはない鮮明なそれは、明らかに昨夜辺りのもので、女のいない軍の中では、極めて不自然なもの。思わず目の錯覚かと何度も瞬いて、亡骸と上官とを交互に見遣った。

それは―――くちづけの、痕。

はっと息を呑み、心臓が跳ねた。背筋を冷たい汗が流れる。知ってはならない秘密を抱えた後悔に、襲われた。

迷うことのない直感。おそらくこれは、閣下が付けた痕だろう。昨夜の名残を惜しみ、あの痕から目が離せないのだ。だから、あれほどまでに取り乱したに違いない。ただの幼馴染ではなかった。同じ高みを目指した参謀でもない。情を交わしていればこそ、その死が受け入れられないのだ。

清拭が終わり、軍医は逃げるように退出した。小编の腕を振り切り、おぼつかない足取りで保存ケースに歩み寄った。驚倒の波が引き状況が整理できると、今度はともに秘密を共有した、いわば共犯者のような甘い錯覚を覚えた。自分だけは特別だ、誰も入り込むことのできない領域へ、入室を許されたも同然だ、と。
そして、色恋事に興味もなく、まして同性同士とあれば、主従関係以外なにものにも進展することは出来ないだろうと諦めていたが、閣下にその経験がおありなら。いや、爱人を亡くした今なればこそ、この手の中に入れることが恐怕ではないか、と淡い期待が膨らんだ。

虚ろな閣下を、この手で立ちなおらせる。そうすれば、閣下は俺を見るようになる。俺だけを見るようになる。他とは一線を引き、俺を特別に扱うようになるのだ。

何と甘い響きだろうか。こんな風に、たった一人の心を欲する日が来ようなどと思いもしなかった。だが……。

事はそう容易いものではなかった。

抜け殻になったあの方を立ち直らせることが出来たのは、姉君ただ一人。それと仕向けたのは、オーベルシュタイン。俺は気持ちが焦るばかりで、成す術もなかった。

その鬱憤を晴らすように急ぎオーディンへ戻り、あのリヒテンラーデ公を逮捕した。せめて足場を固めさせ、栄達の礎を築ければ、と。他の者も手筈どおり各所を押さえ、あの方は、事実上銀河帝国を精晓した。そして―――。

報告のため、再びまみえたときの衝撃は、なんと氷のごとく鋭利に研ぎ澄まされて。それでいて、砂のように空虚に渇いていたことだろうか。あの、惹きよせて止まない眼光が、元に戻ってはいた。けれども以前の眼光は、夢を語る熱い感情と、若き野心によって輝いていたのだ。それが、片方だけが欠落して、血の通わない野心だけのものに変わっていた。

「卿らも同様だ。私を倒すだけの自信と覚悟があるのなら、いつでも挑んできてかまわないぞ」

実力もない覇者が打倒されることは、当然のことだからな、と挑発ともとれる冷たい響き。敵味方の区別もなく、牙をむいて身構えているような気がして、身を竦ませた。

危うい、繊細な彫刻品。傍にいて、誰よりも傍にいて守りたかった。たとえ手に入れることはできなくとも、いつでも手を伸ばせば届く距離にいて。

見守り続けた日々。

冷たく研ぎ澄まされ、砂のように渇いてゆくあの方。

何度、手を伸ばしかけただろうか。

何度、この腕に抱きしめようとしたことか。だが。

止めどない渇きを癒すにしても、俺の手など必要とはなさらない。下手に手を出して不興をかう勇気もない。まるで生娘のような軟弱な俺。溜まった鬱積はそこら辺の女で晴らした。

夢の中で寝息を立てるのは、あの方。目覚めれば覚えも薄い女。虚しさと自嘲がこみ上げて、その場から逃げるように去った。真に欲するものとは逆行してゆく日々。鬱積は溜まる一方。時に晴らした女の髪の毛が肩についていて、あの方自身にからかわれもした。そして一年が過ぎた、あの日。

深夜、残業続きの元帥府を出ようとしたときだった。何気なく廊下の奥を見遣れば、閣下付の従卒がワインを運んでいる。閣下が夜中まで就業されていることは珍しくない。だが、この時間まで飲酒されることは、そうあることではない。まして従卒が抱えている本数が多いことが気になった。

「おい。それは閣下お一人でか?」

思わず声をかけてみれば、従卒は既に二本運んだものの追加だという。それほど酒に強い方だとは思えない。

俄かに不安に曇る顔。幼い従卒は、恐る恐る問うた。

「どうも様子がおかしいのです。夕刻から黙りこまれて、ひたすらお酒をお召し上がりなのです。閣下はそのようなことなど一度もなさったことはありません。何かあったのでしょうか?」

一人で運ぶのも不安ならば、尊敬する人が酔っているのも心配なのだ。けれども自分ではどうすることも出来ない。そこへ元帥府の重鎮とされるロイエンタールに声をかけられたものだから、従卒は思わず縋ってしまった。

一時の思案ののち、彼は従卒からワインの入った籠を奪うと、下がるよう命じた。あれこれ理由を考えてみたが、酔い乱れるほどの理由には思い至らない。籠に入ったワインのラベルを眺め、銘柄を確認した。どれも極上ものである。産地や年代を考えているうちに、問題の部屋の前に立った。

ノックをしようと軽く手を握って、ふと気付く。

ああ、そうか、と。

前几天は10月二二18日。日々の仕事に追われすっかり忘れていた。いや、むしろ彼の存在は忘れたかったように思う。

叩く前に、一瞬の躊躇いが生まれた。

悲しみにうな垂れた背中。立ち直らせる術を見出せなかった自分。恐らく、明日の命日を想ってふさいでいるのだ。キルヒアイスを殺したのは自分だ、と責めているのだろう。日常は忘れたふりをしていても、命日には、犯した罪を忘れてなどいない、と罪滅ぼしのように自身を切り刻んでいるのだ。

一年前の不甲斐なさが過ぎる。オーベルシュタインに出し抜かれた悔しさも蘇った。

沸々と沸いた怒りに、手は扉を叩いた。中から返事はない。この時間、入室許可を求めるのは、誰もいないと思っているのだろうか。

返事を待たず扉を開ける。執務室に姿はない。となれば、視線は部屋の奥を辿った。ラインハルトの本来の住まいは仕官宿舎。けれども執務に追われると、自ら進んで缶詰状態になるので、急遽仮眠室を誂えたのだ。

許可されたことのない領域へと進む。

足取りはひどく硬い。

扉の前に立ち、小さく息を吸った。

ノックをしようと手を握ったが、ややあってそれを解くと、ゆっくりとノブを回した。飾り気のない廊下。狭く細い通路のようなその奥から、ほのかな明かりが足許まで届いていた。

小さく息を吐いて、一歩を踏み出す。ドアが二つあって、バスルームと洗面所だろうか。そして。

ゆったりとした応接セットと、奥には広い寝台。いくつかの家具に囲まれた部屋は、ある程度の広さがあるものの、支配者にしてはかなり質素なものだった。

ソファーの背にかかる、金色の髪。

「……ここに置いたら、下がって休むがよい」

ひどく掠れた声は、多量の飲酒を物語っていた。

「閣下……」

思いがけない声に、一瞬、声を聞き分けようと動作が止まる。ややあって声の主が分かると、だらりと頭を背もたれに預けた。

金色の髪が揺れた。

「酔っ払いの面倒でも頼まれたか?」

はい、とも、いいえ、とも答えず、向かい合うソファーの前までゆく。酒に酔った虚ろな眼が、部下の姿を追った。

正面に回って、上官の了承も得ずに腰掛ける。籠を脇において、早速新しいコルクの栓を抜きにかかった。

「帰るところだったのですが、閣下が飲まれていると聞いて、小官も相伴に与ろうと思いまして」

何も気付いていないふりで、栓を開ける。さり気なく見渡せば、テーブルの上には、空になった瓶が二本転がっていた。ほんの少し中身を残したままのグラスが、テーブルの縁ギリギリのところにある。背もたれの端には、従卒がたたんだであろうマントと上着が掛けてあった。まだ、まともに上官の姿は見ていない。

栓を開けきって、さあ、と差し出す。唾を無意識に呑み込んで、ゆっくりと上官を見た。

虚ろな眼差し。顔色も悪く、やつれた目許。そしてこちらが目を背けたくなるほどの、自嘲めいた微笑み。蔑め、責めろ、と乞うてでもいるように。

「……相伴か……まあ、いい」

そこにロイエンタールがいることを許すと、グラスの脚を持った。並々と注がれてゆく紅い液体を哀しげに見つめて、そして口に含む。

おそらく、その蒼氷色の瞳には、流れた血に映っているのだろう。何の感情も表に出さずグラスを空けてゆく。あのことに触れるのはよそう。閣下もそれを望んではいまい。下手に慰めようものなら、返って追い詰めるか、精神の崩壊すら招いてしまそうだ。いっそ、注ぐだけ注いで、酔わせて眠らせるほうがいい。

空けては注ぐ。頃合をみては自らも飲み干し、注意深く様子を窺った。虚ろな眼差し。紅い液体を見つめて、その長い睫を伏せ無言のまま。向かいにロイエンタールがいることすら、忘れてしまったように。

やがて、一本空いた。無造作に新しいボトルの栓を抜きにかかる。静けさを乱さないように、細心の注意を払ってコルクを回す。そのとき微かに声が、聞こえた。

「酔えないのだ……。何もかも考えられなくなるほど飲もうとしても。寧ろ、考えまいとする事だけが、殊更鮮明に浮かんでくる」

彼はハッとして、息を詰めた。確かに言うだけあって、ラインハルトは正気だ。その虚ろな眼差しの訳は、すべてが酒ではないのだから。

酔ってしまえば楽だろう。何もかも、酒に流せたなら。けれどもラインハルトの精神のその辺りは、真精神過ぎるほど純粋で、自ら誤魔化すことを許せないでいる。

これは、問いなのだろうか。それとも、独語か……と、ロイエンタールは、開けたコルク栓をテーブルに置いて、返答すべきか迷った。思案する時間を稼ごうと、空いたグラスにワインをゆっくりと注ぐ。虚ろな蒼氷色の眼が、それを追った。視線を上げなくとも、上官の有様が手に取るように見える。

彼は小さく息を吐いた。忘れろ、とは言わない。だが、彼の死を自分のせいにするのはそろそろ止めてもいいのではないか。自らを責めても何もならない。意識を手放すまで責めても、失ったものが生き返る訳ではないのだから、と。

ボトルを握った指先に力が籠もった。一年経った。もう十分ではないか。それほどまでに苦しんだのだから、もう自分を赦してやってはどうか。

ロイエンタールには痛ましく思えた。反面、死してなお捉えて放さないキルヒアイスに、深い嫉妬と怒りを覚える。そして。

「考えようとしているから、酔えないのですよ」

無意識に出た言葉だった。俄かに募った怒りが、思わず口をついて出たのだ。その証拠に、彼の金銀妖瞳は詮索を恐れて、俯いた。

誤魔化すように、紅い液体を満たしたグラスをもてあそび、口に運ぶ。あの方が、じっと見つめている。今の言葉には、如何なる意味が含まれているのか、探ろうとしている。考えまいとしたことを、よもや見透かしてはいまいな、と疑っているのだ。

汗ばむ手。ワインを飲んでいるにもかかわらず、渇きを覚える喉。気配は動こうとしない。じっと目を向けたままだ。このまま俯いていては変に勘ぐられる。やっと掴んだ領域を失ってしまうかもしれない。ロイエンタールは、ぐっとグラスの脚を持った。

ゆっくりと視線を上げる。彼の魅惑的な金銀妖瞳が、まっすぐに蒼氷色の眼差しとぶつかった。

「それとも、飲みようが足りない、とか?」

口許で笑って見せて、さらにワインを注いだ。視線の先の、動かない冷たい顔。氷のような蒼氷色の瞳とあいまって、実に美しい。けれども美しいが故に、意識を強く持っていなければ呑まれてしまう気がした。

視線を外してはならない。焦ってはならず、所作が粗雑になってもいけない。夜会で女たちを虜にした、あの優雅な仕種でワインを飲む。年長の男の巧者な手付きで、けれども極めて自然に見えるように、彼の培ってきた気力は総動員された。

やがて、ふっ……と、氷の顔に笑みが灯る。

「そうか……」

そうかも、な……と呟いて、さっと煽ると、空のグラスを差し出した。その緊張から開放された笑みに、ロイエンタールは酒を注いだ。今度こそ酔わせ、何も考えられなくさせるために。

向かい合い、酒を酌み交わす。取り留めのない会話。やがて時計の針が、深夜の二時を回った。ワインを口に運ぶペースが格段に落ちる。途切れた会話に、ふわりと瞼が閉じ始めた。

「……お前は、酒に強いな……」

呂律の回らない口調で、恨めしそうに金銀妖瞳を見遣って、崩れるようにソファーへ蹲った。

「閣下……」

声を掛けてみるが返答はなく、静かな寝息が聞こえた。

「ローエングラム元帥……」

もう壹度確認しながら、物音をたてないよう席を立った。肩に手を置いて、そっと揺すってみる。平素に目を覚ます気配ない。

脇に手を差し入れ、抱えるようにして三人掛けの長いソファーに横たえる。見下ろして、目許にかかる前髪を払った。露になる白い額。伏せられた長い睫は、心なしか仄かに濡れて見える。

前髪を払った指先が、頬に触れた。やわらかく弾力のある肌。神経質に尖った顎のラインを、そっと指でなぞった。

しばらく見つめた後、その手をぐっと握りこんで引き寄せた。眉間に深まる皺。苦悩と怒りと切なさと、それらが複雑に絡み合って深い溝を刻む。

ベッドからシーツを剥ぎ取り、風邪をひかせぬようにラインハルトに掛けた。そして枕許に跪き、寝息を立てる美しい顔を覗き込んで。

「可哀想に……」

包むように頬を撫でる。忘れてしまえばいい、と。

長い指の背で、そっと唇に触れた。忘れさせてやる、と。

出来るものなら、その苦しみごと抱き寄せて包んでやりたい。血を流す全ての傷を、この手で塞いでやりたい。

白い顔を、影が覆う。

やわらかな唇に、性的でないそれが重なる。

初めて、キスをした。そして初めて、セックスに繋がらないくちづけをした。離れて指でなぞる。たった今、重ね合わせた唇に想いを籠めて。

命日の前夜がこうならば、明日はどうなってしまうのか。もし、同じように苦しんでいるのだとしたら、今度は逃げはしない。手をこまねいてもいない。あるがままに、受け止めてみせる。どのような結果になろうとも、貴方を独りにはしない。

夜は更け、部屋は静まり返っている。今夜はこのまま眠らせておこう。そして翌朝、貴方が何も触れなければ、今夜のことはなかったことにしよう。ロイエンタールは物音をしのばせ部屋を後にした。

つづき・・・

――― 天国への階段4 ―――

翌日、何事もなかったかのように職務に精励する姿を見て、ロイエンタールは取り敢えず安堵した。けれども時折、昨夜の姿と重なっては、無理に職務に打ち込もうとしているように見え、気が付けばいつも視線は上官を追っていた。

それでも定例会議終了後の、ほんのわずかなとき、視線は亡き人の立ち地方に注がれ、ぼんやりと顔を曇らせる。そんな姿を古参の部下達は見守り、敢えて気付かないふりをした。ミッターマイヤーも、彼と肩を並べ廊下に出た折、そうか…前些天は命日か、と感慨深げに口にした。

誰1位忘れられぬ、苦い思い出。彼が生きていたなら、と思う場面に幾度境遇したかしれない。けれども彼はもういないのだ。そして生き返ることもない。それが分かっていても、詮無き大概性の話をしてしまうのは、仕方のないことだった。1僚友がそうなのだから、唯壹無2の幼馴染とあれば、その想いはひとしおだろう。

時は刻一刻と過ぎてゆく。高かった陽も、今では建物の影に消えかかり、室内には明かりが灯るようになった。机の上の決裁待ち文書も、残りはかなりある。

手にした同じ書面に目を通すのは、これで何度目なのか。深いため息とともに、パサリと紙を机の上に放った。

ロイエンタールの仕事は、思いのほかはかどらない。理由ははっきりしている。上官の姿ばかり気になるものだから、一向に身が入らず進まないのだ。まったく彼らくない集中力といえる。

時計を見上げた。七時を指している。それほど遅い時間とは思えないが、ふとした拍子に、あの人の姿が浮かんだ。それは、肩を落とし、少し伸びた髪が頬を覆い隠す。透き通った蒼氷色の瞳は、光を失い虚ろとなる。食すことも寝ることも忘れ、手には酒が残るだけ。後悔と罪悪感に彩られた部屋。そんな場所にたった独りいるのだ。

反射的に腰が浮いた。けれどもややあって、ゆっくりと沈める。上官は昨夜のことに触れなかった。機会はあったはずだ。それでも昨夜のことは一切視線にも上らなかった。無論、今夜も飲みに来い、と誘われるはずもない。と言うことは、そっとしておいて欲しいのでは?
誰も傍に寄せ付けず、一位になりたいのでは? と過ぎったのだ。

昨晩、誓った。今日何も触れなければ、なかったことにしよう、と。ならば、ここは潔く引くべきではないか。決して恐れている訳でも躊躇っている訳でもない。ただ、あの方ことを第一に想えばこそ、だ。

と、言いつつも……落ち着かない。彼の長い指は、磨かれた机の上を神経質に叩き続ける。トントントン……と、余計に苛つく音を立てて。吸重力的な金銀妖瞳は、時計の針と宙とを行ったり来たり。大して考えている訳ではない。むしろ、それほど細やかに思虑は働かなくなっている。

一時間経ち、取り敢えず廊下に出てみた。もし、従卒が通りかかるようなら、様子を訊き出せばよい。ワインの貯蔵庫から、閣下の執務室を繋ぐ廊下が見える地方まで移動して、壁に凭れ腕を組んだ。

長い指が、腕を打つ。軍服の布地を、トントン……と叩いてゆく。静かな廊下。この時間、通る者は警備兵くらいだろう。

どれくらい待っただろうか。心穏やかでない彼には、相当長く感じられたに違いない。ふと横切る幼い影を見止めて、慌てて後を追った。

「おい、今夜もか?」

強引に肩を掴まれた従卒は、驚いて振り返った。

「あ、はい」

「それで何本目になる?」

従卒が抱えていたのは、昨夜と同じワインの入った籠だった。二人して視線を籠の中へ落とす。

「はい。二本目になります」

分かった……と、言っただろうか。ロイエンタールは従卒から籠を奪うと、下がっていい、と声をかけて足早に上官の執務室へ向かった。

ノックなどせず執務室に入る。思ったとおり姿は見えない。彼は迷わず奥へと進んだ。さすがに、仮眠室を隔てる扉を開ける際は、一呼吸置いた。彼とて緊張しているのだ。

今早と同じく、間接照明だけの仄かな明かり。大きな四人掛けのソファーの端に、水泥灰の髪が見えた。彼は無言で向かいのソファーまで行き、軽い気持ちを装って腰かけた。

籠からワインを取り出して、オープナーを突き立てる。

虚ろな蒼氷色の瞳が、一瞥した。

「……今夜も、相伴か?」

「美味い酒が運ばれているのを、見ましたので」

きゅきゅ……と、コルクと瓶が摩擦の音を立てる。さあ、と空いたグラスにワインを注ごうと差し向けた。

喉を、音もなく唾が呑み込まれてゆく。

まさに、審判の時。

ロイエンタールの顔は余裕たっぷりに笑みを浮かべているが、内心は激しい鼓動に汗ばんでいた。同席が許されるか、それとも追い出されるか。すなわち、領域に侵入することを許されるか、不興を買って二度と傍に上がることを許されないか。

さあ、とワインを差し向ける。再び蒼氷色の視線が向けられた。虚ろななかにも、棘のような毒気がある。慰めてやろう、といらぬ節介が魂胆なのか、それとも本当にただ酒の相手をしに来ただけか、推し量っているのだ。

やがて、ふん……と鼻で笑って背もたれに身体を預けた。

「好きにするがいい。だが、昨夜のようにはいかんぞ。先に酔いつぶれるとは、いささか醜態をさらした」

同席が許可されたととるや、ロイエンタールは並々とワインを注いだ。脇のサイドボードからもう一つグラスを取り出して、自らも注ぐ。乾杯などしなかった。出来るはずもない。ただ、相伴の礼を言って口をつけただけだ。

見抜かれただろうか。欲してもいない慰めを腹に持っていることを。それとも本当に気付かなかっただけか……。むしろ、見抜いていたとしても、捨て置いたのか。

後者ならば、なんと情けなきことか。金銀妖瞳の瞳は、ワイングラスの陰からそっと様子を窺った。白い顔に、淡いオレンジ色の間接照明があたる。顔の陰影を色濃く出し、より深い苦悩を彩った。時折、前髪をかき上げては、眉間の深い皺が姿を現す。

この一夜で、更にやつれたようだ。彼の生き生きとした秀麗な顔が、病魔にでも取り付かれたように陰っている。可哀想に……と、ロイエンタールは心の中で吐息した。

息苦しく感じたのか、詰まった軍服の襟元を寛げた。白いマントをだるそうに外して、ソファーの背もたれに掛ける。その様子を彼はそっと窺い見た。

無言で差し出されるグラス。無言で注がれるワイン。時間だけが音を刻んで過ぎてゆく。やがて―――。

「卿は……」

いや、と言ってラインハルトは口を閉ざした。自分でも何を言い出すのか、と忌々しげにワインを空けた。ロイエンタールは籠の中に手を伸ばし、聞こえなかったふりでコルクを抜きにかかる。その手許を蒼氷色の眼差しが追った。そして差し出されもしないグラスに、注ぎ込まれる。

揺れる紅い色の湖面。それをぼんやりと見つめる眼差し。

「ロイエンタール……お前は、大切なものを失くしたことがあるか?」

その小さく掠れた声に、彼は身を硬くした。キルヒアイスのことを言っているのだと瞬時に分かったが、自身の返答をどう返すべきか、言葉に詰まる。けれどもその一瞬の詰まりが、ラインハルトを正気に返させた。まずいことを口走ってしまった、と舌打ちまでして。

よく聞こえなかったふりをして誤魔化そうか、と彼も考えたが、それではあまりに不自然ではないか、と改め、敢えて自分なりの想いを口にしてみた。思えば、これが取り返しのつかない結末の、始まりだったのかもしれない。

「もの、ですか。小官にとって、ものとは道具に過ぎませんから、そもそも執着がなく大切に思ったことはありません……が、それが人であるとすれば、失くす以前に、手にいれることすら叶わないでおります……」

揺れた紅い湖面は静まり、蒼氷色の瞳はゆっくりと向かいに座る男を見た。手にグラスを持ち、長い脚を優雅に組んで、立ち上る年代ものの芳香を楽しんでいた。

見ている。真っ直ぐに俺を見ている。この早鐘を打つ鼓動が聞こえるだろうか。グラスを持つ手の汗が分かるだろうか。喉の渇きを癒すために、一口ワインを含んだ。

「ほう……。卿ほどの男でも、手にいれられない女がいるのか?」

それは目の前にいる貴方だ……と、そう言ってみたらどうなるか。綺麗な顔を歪ませて、馬鹿なことを、と怒るだろうか。いっそ本当のことを言ってしまえば、楽になれるかもしれない。

口に含んだ紅い液体が、ゆっくりと喉を通っていった。

「強力な恋敵がいるもので」

「この帝国に、卿と張り合える者がそういるとも思えんが」

話はまずい方向に行っている。哀しいことに、ラインハルトは彼の話に興味を持ったようで、止めることを許しそうにない。ラインハルトも予定外のことを口にしたのならば、ロイエンタールとて予定外の展開を迎えたのだ。

彼の心臓は、益々早鐘を打つ。恋敵などと言うつもりはなかった。ただ、ここに一人、貴方のことを想っている者がいる、と何かの喩え話にでも言ってみたら、と魔がさしただけだ。ただ、それだけなのに。魔がさしただけだったのに。

水の流れは、一度傾いたら止めることは出来ない。

「恋敵は、すでにこの世を去っております。ですがその方は、未だに想い続けている様子で、どうあがこうとも死者には、勝てそうにないのです」

ああ、と天を仰ぐ思いだった。何を口走ろうというのか。ロイエンタールは自身の中を急速な勢いで流れてゆく水を、どうすることも出来ないでいた。

視界の端で、もの珍しそうに話の続きを聞きたがっている姿が見える。ほんの少し笑みを浮かべ、苦しみを忘れ、ひと時の会話を楽しもうとしている姿が。けれども。

そんな姿を見ていたら、彼の中でキルヒアイスに対する嫉妬心が俄かに膨らんできた。こんな風に、無邪気に耳を傾けていたのだろうか。差し向かいの極上のひと時を、独り占めにしていたのか、と思えば、己がとてそれを欲して何の咎があろうか、と。

やめておけばいいのに。そっと自分の中でしまっておけばいいものを……。天を仰ぎ、息を呑む。それでも、ほんのわずかでも得たいと欲するのは、罪なことだろうか、と。

やがてラインハルトの吐息が聞こえて。

「そうか……。死んでしまった者は生き返ることはない。その人も、早くそのことに気が付いて、卿の方を振り向いてくれると良いな……」

天を仰いだまま、握っていたグラスに力が籠もる。俄かに水の流れが勢いを増した。

そうだ。死んだ者は生き返らない。ジークフリード・キルヒアイスはもう帰っては来ないのだ。それは閣下、貴方が一番よく知っていることではないか。

「きっと、先に逝った者も、残された者が幸せになることを望んでいるだろうに……」

ロイエンタールはゆっくりと瞬いて、正面に座る人を見た。テーブルの上のグラスを見て、ちょうど手に取ろうとしているところだ。

「……何っ」

その伸ばされ手は、グラスを掴む前に、ロイエンタールの手によって奪われた。強く、何の前触れもなく握られた手。ハッと見上げれば、金銀妖瞳の真摯な眼差しが、そこにあった。

「離せ、ロイエンタール。これは何の真似だ?」

「……閣下、死んだ者は帰っては来ないのです」

俄かに瞠目する、瞳。

秀麗な眉が、驚愕に寄せられる。

「お前……」

尚も強く握ると、彼はパッと身を翻し、座したままのラインハルトの前に立った。手を握り上げたまま、驚きに硬直する顔を見下ろす。

「たとえ手に入れることが出来なくとも、貴方を失えば、私は生きる価値を失う」

ぐいと手を引き上げ、浮いた腰をもう一方の腕で支えると、半開きになった唇を塞いだ。驚きで、抗うこともない。眼は瞠目したまま、宙を彷徨う。

手を離し、後頭部を抱え込むようにして、更に深い口付けを施す。やわらかな舌先がラインハルトの唇を抉じ開け、侵入を図った。

我に返ったラインハルトが彼の肩を押して離れようとする。あっさりと拘束をゆるめて、けれども腰は強く抱きかかえたまま。

「ジークフリード・キルヒアイスは、さぞ貴方をやさしく抱いたことでしょう。死者に勝てないことは十二分承知しております。だが、諦めきれぬのも事実……」

「何を、馬鹿なことを……」

「ガイエスブルグ要塞の大広間。清拭のために脱がされたヤツの身体にあったものを、お忘れか?」

途端、抗う力が抜けた。身体を支える力さえ抜けて、返ってロイエンタールの腕に支えられている。腕から伝わる震えは、これ以上ないほどの動揺を表していた。

彼は抱きかかえたまま、ゆっくりと腰を下ろした。そして強く、強く抱き込んで。

「お前、それを……見たのか……」

か細く、消えてしまいそうなほどの声。こんな風に弱くなってしまわれることを望んだのではない。俺は、いつも野心に身を焼いた鮮烈な貴方が好きだった。どんなときでも自信に満ち溢れた貴方が。母親に害され歪んだ心しか持たぬ俺を照らしてくれる、その強烈な光が。

「他には誰も気付いてはおりません。閣下、私は今でも悔いて自身を責め続ける貴方を見てはいられない」

この手で、救えるものならば。

この手で、再び輝けるものならば。

間近に顔を寄せ、驚愕に瞠目した蒼氷色の瞳を捉えて。

「私では、忘れさせてやれまいか。たとえ私の方を向いてくれずとも。私を利用することで……忘れることは出来まいか」

再び唇を重ねた。今度のは深いそれではなく、重ねては離れた。

「お前の……手に入らぬ者とは、私のことか?」

いかにも、と答えて唇を吸った。頬も、まぶたも、こめかみにも、親鳥が雛を啄ばむようにいとおしげに吸った。

「忘れることは出来ない。俺が殺したのだから」

忘れることが出来ようか……と、瞬いた眦から涙が溢れた。

「でも、時には逃れることも必要でしょう。だから、昨夜も今夜も、こんな風に酒に頼って」

酒の相手をせよ、と仰せならばそのように。ヤツと同じキスを望まれるならば、目を閉じていれば判らぬほどに。今すぐ正気を奪え、と仰るならそのように……と、耳許で切々と訴える。

貴方は知らないだろう、こんな風に俺が想っていたとは。貴方は気付かなかっただろう、ヤツと貴方の関係を俺が知っていたなど。溢れた想いを、心の叫びに乗せて訴え続ける。

「小官に、弱みを見せたと思われるな。罪から目を背けることを、恐れますな。人は誰しも、生きるためには息を抜かねばなりません」

だから、貴方が罪に苛まれることはない……と、ぎゅっと抱き込む。寸分の隙間も出来ぬほど力を籠めて。

耳許に、微かに聞こえる涙の吐息。負った罪の重さに、精神が限界に来ているのが手に取るように分かる。

ああ、それほどまでに―――。

それほどまでに、貴方の心はキルヒアイスで占められているのか。視線を伏せ、苦渋を浮かべた顔は、深い眉間の皺に言葉にならぬ叫びを刻んだ。

「本当に……。逃れることができるのか?」

掠れたか細き声に、拘束を解いて身体を離した。虚脱していた身体を起こし、真っ直ぐに見つめてくる。

今の問いは聞き違いではあるまいか。けれどもその真摯な眼差しは、誤魔化しようのない心の変化を物語っていた。

「あの過ちを、一時でも忘れることが出来るのか?」

その透き通る蒼氷色の瞳に、ロイエンタールは跪かずにはいられない。同じ場所に立つのも憚られる清らかさに。彼は、ソファーから滑るように降りると、片膝を着いた。そして覇者を、不躾なまでに直視することを躊躇いながら。それでも、決意揺らぐことない信念に満ちた眼差しで見上げて。

「はっ。……仰せとあらば」

沈黙が二人を包んだ。双方動くともなく、片方は傅いたまま。片方は、ソファーに座って部下を見下ろしている。

「……ワインを取れ」

命令に従い、傍にあったラインハルトのグラスを渡した。彼は受け取って、しばらく紅い水面を見つめた。そして一思いに飲み干すと、テーブルの上に置くなり、パッと身を翻して寝台の脇に立った。

「何も……考えられないようにしろ」

跪いたまま、彼の金銀妖瞳の瞳は上官の姿を追った。

「はっ。仰せのままに」

立ち上がると、ゆっくりと寝台へ向かって歩んだ。これは、おそらく契約なのだろう。文字にしたためることはないが、二人の間に交わされた契約なのだ。そして、いま歩んでいることこそ、その契約書にサインをした証。見返りを求めず。ただ仰せのままに、その苦しみを奪うこと。それが契約のすべて。そして方法は―――。

寝台の脇に立ったときから決まっていた。それは主が定めたことだから。契約を交わしたものは、非情にそれを執行するだけ。

傍らに立ち、後ろから抱きしめて正面を向かせた。神経質な細い顎を捉えて上向かせ、わずかに開いた唇を塞ぐ。やわらかで薄いふくらみを、舌先でゆっくりとなぞって、軽く吸う。そして隙間から舌を差込み、臆病にしているそれを絡め取って、何度も深く角度を変えた。

「んんっ……」

苦しげに、白い指は軍服を握り締める。頬を、瞼を、額をロイエンタールの唇が辿ってゆく。やっと開放された唇は、はあ…と、荒い吐息をして睫を伏せた。

「ロイエンタール……俺を、やさしく抱くな」

思い出すから……と、わずかに聞こえた気がした。一瞬、動きが止まる。錯覚かもしれないし、彼自身の考えていた想像が、聞かせたのかもしれない。けれども上官は間違いなく、やさしく抱くな……と。

彼とて、想いを寄せた相手。怎么样なる形をとろうとも、愛しい相手を抱くのだから、精1杯想いを籠めて抱いてみたかった。生まれて初めて、心底欲しいと望んだ人なのだから。

彼には愛された記憶がない。だから普通の爱人同士のような愛情は分からないかもしれない。けれども、欲しいと思った。自分から、この手に抱きたい、と。その想いを籠めて抱くことすら出来ないというのか。

「……仰せのままに」

ヤツと重らない行為。ヤツを連想させない行為。ヤツを思い出させない行為。どんなときでも、俺の邪魔をする。死んでさえも、俺を阻む。

よかろう……。これは契約なのだから、感情は必要ない。俺の感情は、あの方にとっては無用なのだから。だが、それでも―――。

欲しいと願った人が、この腕の中にいる。確かな質量と、感触を持ってここにある。ならばそれで十分ではないか。この俺には、母親に害され生まれてくることを望まれなかった俺には、それで十分と言えよう。

仰け反った白い喉許を、丹念に舌が辿ってゆく。寛げられたシャツの間を割って、下へ下へと辿ってゆく。流れるような動作で軍服を脱がし、シャツは、外し損ねた片方の袖口の釦が引っかかって、淫らに垂れ下がっている。

寝台へ押し倒し、すぐさま覆いかぶさった。息をつかせてはならない。考える間を与えてはならないのだ。何時、我に返って気が変わらないとも限らない。ここまで来たのならば、この状況を手にするだけだ。今更、手放すことなどできようか。

脱ぎ捨てた軍服が、絨緞の上に散乱していた。一糸纏わぬ二つの裸体が絡み合っている。決して小柄ではないのに、腕の中の身体は酷く華奢で。女のようにくびれた腰も、ふくよかな乳房もないのに、手にしなう肌は女のそれ以上にしなやかで。同性の身体には違いない。それなのに、興奮は底を知らず湧いてきた。

初めて、男を抱いた。

女を抱くときのような、渇いた感覚はなかった。むしろ夢中になる、と言った方が正しい。白い肌に、淡い色をなして付いている乳首を弄べば、朱に色づき硬く隆起してくる。くぐもった途切れ途切れの息が、自然と零れてきた。恥ずかしいのか、そんな自分が許せないのか、未だシャツが手首に引っかかったままの手で、顔を隠そうとする。まだ理性があるのだ。恥じらいと後悔が浮き沈み出来る余地があるのだから。

白く浮き上がる鎖骨の窪み。舌でなぞってくちづけた。硬い骨を覆うやわらかな皮膚。熱を帯びたそれは、艶やかに色づいて。

「痕は……付けるな」

シャツ越しにか細い声が聞こえた。今にも吸い付かんとする瞬間に、だ。

動きが止まった。脳裏に明滅する亡骸。おそらく互いに付け合ったであろう紅の痕。俺には許されないそれを、いとおし気に指で数え、甘いひと時を睦みあったのだろう。

そうだった。ここまで来ても、ヤツに―――キルヒアイスには許されていても、俺には許されないのだ。危うく勘違いをするところだった。俺はただの契約者に過ぎないのだから、と彼は苦笑して、なんの躊躇いもなく、膝の間に手を伸ばした。

どうしても隠せないそれを握る。ゆっくりと扱いて、少しずつ理性を奪ってゆく。声を出すまい息を漏らすまい、とシャツの端を噛んで顔を隠し続ける姿に、強烈な征服欲が湧く。

嫌だと捩る身体を押さえ込み、抵抗する膝を割り開き、扱きながら奥の閉ざされた入り口を指でなぞった。強張る身体。意識をそらせようと、手の扱きに加えて口に含む。唾液をたっぷりと絡め、拒もうとするそこを摂理に逆らい、抉じ開けた。

もたらされる快感と、不快と。入り乱れた不思議な感覚に、下肢を強張らせた。反応を見ながら探ってゆく。一刻も早く理性を手放せるように。指先を曲げ、腸壁を擦り上げる。

「……っく……ンんっ……」

肩を掴んだ指先が、籠められた力で食い込む。シャツの下から漏れる声。感じてしまう自分が許せないのか、頭を左右に振っている。

「はっ……待て……まっ……」

絶頂は近い。口に含んだそれは硬く勃起し、吐精が近いことを示していた。やわらかく綻んできた入り口も、差し入れた指を締め付けてくる。両足の先まで力が入り、何時しか膝を曲げ、ロイエンタールの頭を挟んでいた。

「ダメだ…離せっ……アッ」

溢れた精液を残さず絡め取って、入り口に塗りこむ。そして間髪いれずに押し挿った。せっかく手放しかけた理性を戻させてはならず、と次の快楽で攻め立てた。腰を持ち上げシーツをたくし込み、顔を隠していた手を首に巻かせ、ぴったりと身体を合わせる。この方が、動いたとき互いの腹の間でラインハルトのそれが刺激されるのだ。

すべて収まりきると、ゆっくりと動き始めた。指とは異なる質量に慣れるまで、穏やかな刺激を与える。そして契約を果たすのだ。快楽に溺れさせ、一刻も早く意識を奪うために。時に強引に、時にやさしく。

抱きかかえては上に乗せた。両手を着かせては腰を掴んだ。まるで獣のように、ただ快楽だけを貪る。相手は何も応えない。何も自ら求めようとはしない。無理やり強いられた犠牲者のように、身体を開くだけだ。

抜け殻を抱いている。俺の想いは突き破るほど溢れているのに、受け取ろうともせず、また応えようともしてくれない。心のない人形が、腕の中にあった。

けれどもその瞬間だけは、指先に腕に力が籠もる。離すまいと肩を掴み、より熱を求めて身体を寄せて。そして、耳許で熱い吐息とともに果てるのだ。

この手でいかせたという実感だけが、唯一俺を満足させた。たとえ求めてくれずとも、応えてくれずとも。そう、確かに―――満足したのだ。

だが、それも一時のこと。何れ俺は知る。いや、思い知らされた。その空虚なる関係が、更なる渇きと欲求を呼び寄せ、憎悪にも似た激しい情炎が俺の中で燃え盛るのを。それは息も出来ぬほど、苦しく、哀しいものだった。

――― 天国への階段5 ―――

「閣下、閣下!」

「何をしている。軍医を早く!」

両腕を掴まれた感触で、目を開けてみればレッケンドルフ少佐が血相を変えて叫んでいた。

「おお、閣下がお目覚めになったぞ」

取り囲む将兵の歓喜の声が上がった。ロイエンタールは蒼白な顔をして周囲を見渡した。大批量の出血で貧血を起こし、意識を失っていたのだ。慌てて駆けつけてきた軍医が軍服を脱がし、輸血のための針を打った。包帯を外して再び镇痉処置を施し、丹念に包帯を巻いてゆく。

「そう、騒ぐな。眠っていただけだ」

少佐ほか、取り囲んでいた将兵たちは一様に安堵の息を吐いた。

「俺には、そんなに死相が出ているか?」

ふんっ……と鼻先で笑って、乱れた前髪を梳きあげる。こんな仕草がとても自然に、そして優雅に見えるのはなぜだろうか。彼の持つ貴族的な風格のためか。

「それより、状況はどうか」

はっ。報告いたします……と、現在地点や残艦艇数、将兵数、そして死者の数などが事細かに報じられた。ロイエンタールは聞き終えると、そうか……とだけ呟いてまた目を閉じた。

「このまま帰着せよ。それから、今度は起こすなよ」

ゆっくりと息を吐いて、指揮シートに身を沈めた。徐々に持ち場に戻ってゆく部下達の足音。それらをぼんやりと聞きながら、つくづく思った。いつか、自分と天皇の関係に気付く者あれば、嘆くだろうと。オスカー・フォン・ロイエンタールという男は、己の歪んだ恋路のために、贰百万上述もの将兵の命を奪ったのだ、と。愚かと言うべきが、むしろ壮絶と言うべきか。こんな風に考えてから、思わず苦笑した。いったい誰が気付くというのか。国君と叛逆者が、情夫の間柄であったなどと。

思えば、あの契約の夜から二年余り。感情は様々に移ろいだ。あの方にしても、俺にしても、幸福な時間があったと言えようか。それでも、切っても切れぬほど深く交わったのはなぜか……。

結局、知り過ぎたのだ。互いの弱きところも、その思索回路も。だから同じものを追い、同じものに戸惑った。それは心地よさもあり、時に腹の痛いことでもあった。

あの方の振る舞いを見ていれば分かる。あの契約の夜が明けると、犯した恥辱に己を恥じ、急に距離を置いた。俺はむしろ、より詳細に顔色を見て取れるようになった。ほんのわずかな目許の陰りも見逃さずに。

呼ばれてもいない。誘われてもいない。けれども目許の陰りに気付けば、無理やり犯した。抱える苦悩から逃れさせるために。こうやって逃れるために抱かれた事実さえ忘れられるくらいに。皮肉なことに、そうやって意識を手放した翌朝は、熟睡できたのか顔色がよかった。だから俺は、抗おうとも拒まれようとも、無理やり抱き続けたのだった。

あの頃、俺は驕っていたのかもしれない。欲しいものを手に入れたと錯覚し、舞い上がっていたのだ。だから、あの方の心の変化に気付けなかった。日に日に増してゆく罪悪感が、後にどんな姿に変わるのか想像もしていなかった。

神々の黄昏作戦のさなか、ランテマリオ星域にてあの方は急な発熱によりしばし寝込まれた。その直前、連夜に渡り戦の興奮を鎮めるためと称して、あの方を抱いた。初めはいつもと変わらず、強気に歯を食いしばり喘ぎ声など漏らすまい、と懸命に抗っていた。けれども普段なら理性を手放せば、むしろ正気に戻るまいと乱れるものが、そのときは違った。

滅多に見せぬ涙を眦に湛え、やめてくれ……と哀願したのだ。頼むからやめてくれ、と小さな声で何度も。けれども驕っていた俺は、そんなものは、いつもの抵抗と同じことだ、と一蹴し、より激しく犯した。そして、またも発熱。

体調すぐれぬと言われ、部屋に入れてもらえなかった。シャトルを飛ばしてブリュンヒルトまで幾度となく赴いたが、結果は同じこと。別にセックスをしたかった訳ではない。ただ体調すぐれぬというから、心配になり様子を見たかっただけだ。それなのに……。

遠ざけられた意味。

入室を許されぬ間、否応なく考えるようになった。そう言えば様子がおかしかった、と。面会を許可されないのは、発熱だけのせいではあるまい。きっと奥に何かある。あの方の心の奥底には、何かあるのだと。そして想像もつかぬまま、俺の元に呼び出しが届いた。

「何を見ている、早くせぬか」

目の前で、無造作に脱ぎ捨てられたローブ。ムードも何もあったものではない。ただセックスの為だけに呼ばれたようなものだ。たとえローブ一枚であっても、自分の手で脱がせるのと、最初からないのではたいぶ違う。何をそれほど苛ついているのか。今更、甘い感情など期待していたわけではないが、これではあまりに……。

「気が変わるぞ。それとも俺では勃たんか?」

何と皮肉気に笑うのだろうか。見ているこちらが、痛々しく感じるほどに。全裸でベッドの端に腰かけ、長い脚を組んでいる。さあ、抱いてみろ、と言わんばかりだ。遠ざけられる前とは明らかに違っていた。以前はそう……キルヒアイスを裏切った罪悪感から、必死に逃れようとしていた。強引に組み敷かれようとも、抗い逃れようとして。それが、だ。

「……ご冗談を。ただ、あまりに色気がなさ過ぎる」

「そんなものはどうでもいい。お前が抱きたいか、どうか、だ」

自分から裸になってみたものの、協力する気持ちは更々無い。キスをしてみても、自分から舌を絡める訳でもなく、快楽に腰をくねらせても、俺のを握ろうなどとは一切なかった。ただ頽廃的に、身体を開くだけ。何の感情も持ち合わせず、精を吐き出すだけの行為。

「どうした。いつもの強引さを忘れたか?」

戸惑いで、ぎこちなくもなる。こんなに虚勢をはっていても、いつものように強引に抱いてしまえば、元通りになる……と、そう思いたかった。けれども、何かが違うのだ。今夜のあの方と、それ以前とでは明らかに。

「飽きたか?」

性感帯の一つである耳の後ろの首筋に、舌を這わせていた。大概ここを刺激するとおとなしくなることが多い。だが、意に反して気分を削がれる問いかけに、一瞬動きが止まる。

「女のように、俺を捨てるか?」

何が、ここまで貴方を変えさせたのか……。女を引き合いに出してみても、俺の浮名を病んでのことではあるまい。

ロイエンタールは眉間に不快な皺を刻んだ。抱かれたいのか、抱かれたくないのか。終わらせたいのか、そうでないのか。心境の変化にある先が、掴めないでいた。このまま行為を続ける気にもなれず、視線を上げる。

「どうした、怖気づいたか。それとも、忘れさせてやると豪語したことを忘れたか?」

挑戦的な眼差し。皮肉と強気に彩られた蒼氷色の瞳。間近でぶつかり合う視線。逸らされることのないそれは、行為自体を拒絶しているようには見えない。けれども、何と自伤的なことか―――。

ああ……と、唐突に気付いた。

また一つ、追い詰めたのだ、と。

キルヒアイスを裏切っている、という残悪感がいつも消せなかった。拒んでみるが、俺の強引さと、その先にある開放感も捨てがたかったのだろう。この半年で、呵責が逃避を上回ったのだ。たぶん、俺に強いられているから仕方なく身体を許した、とそう思うことで精神のバランスを保とうとしたのだ。お前が望むから与えたのだ、決して我の意思ではない、と。

行為に協力的でないのは、その表れ。以前の比ではない。頽廃的な態度も、仕方ない……と、強調しているに過ぎない。

本当は、独りで悲しむ貴方の支えになりたかった。俺の与える何かで紛らわすことが出来るのなら、喜んで差し出そうと。けれども、想いは裏目に出る。強く願えば願うだけ、あの人を苦しめる。救おうと差し出した手は、更にあの人を奈落の底へ追いやろうとする。

「飽きるまで、抱くがいい」

好きにしろ、と全身を弛緩させて蒼氷色の瞳を閉じた。

込み上げてくる熱い感情は、何だろうか。胸の奥を締め付けるように、熱く痛む。好きとか愛しているとか、そんな感情では表せない。もっとも、その感情すら理解できないが……。

顔を見られたくないのか、手の甲を額につけていた。その細く長い指を手に取り、ゆっくりと一本一本丁寧にくちづける。甲にも手首にも。

痕をつけるのはよそう。そもそもつけてはならぬと言われていたが、ほんのわずかでも痕が残るような真似はすまい。そして唇を無闇に求めるのもやめよう。俺の感情を隠し、俺に抱かれたという痕跡を極力消すのだ。そうだ。俺が無理やり強いたから仕方なく関係が続いている、と思わせてやればいい。いつかの契約など忘れ、双方に利害などなく、被害者でいさせてやろう。そうしなければこの先、ますます追い詰めることになる。

白い肌を味わうように鎖骨を渡り、引き締まった腹部を舌がすべる。徐々に乱れてゆく姿。笔者は壹層冷静になった。細心の注意を払うべく冷静に。

この先、俺たちは何処へ向かうのだろうか。忘れさせてやれたら、と始まった関係は苦しみしか生まず、俺たちは互いを傷つけ合って何処まで堕ちてゆくのか。まあ、いい。そうまでして関係を継続することを選んだのではあれば、供に堕ちてゆくだけだ。

両足を肩に乗せ、白い身体を揺すりながら、暗雲の中に身を投じた気分だった。けれども、独りではない。たとえ全ての人が首を縦に振らぬことでも、俺だけは貴方のために。それが正しい途でないとしても、何処までも供にゆこう。

貴方が望むのなら。

貴方が望んでくれるのならば……。

不意に目覚め、また意識を失っていたのだと知った。それとなく瞼を開ければ、艦は静かに航海を続けていた。艦橋員たちも、深夜の交代だろうか、いつもより少ない人数で業務を遂行していた。

慣れた指揮シートは心地よい。何度も生死の境をともに渡ってきたのだ。それなりに愛着もある。だが、今度ばかりは別れることになりそうだ……。

彼は小さく吐息して、目前に広がる宇宙の星々を見た。それは、今を生きて美しく輝いている。血生臭い戦の場と、視界に映る宇宙は同じだ。それなのに、こうも輝きが異なって見えるのはなぜだろうか。

そうか……と、あるかなしかの微かな笑みを浮かべた。見手側の問題なのだ。たとえ戦渦にあっても美しいものは美しい。それを見落としているのは、見手側に余裕がないからだ。

余裕……か。

脳裏に、餓えた男の顔が浮かんだ。空腹で落ち着きをなくし、視線に憎悪の気配すら漂っている。もう少し、余裕を持てたなら末路は違う途が用意されていたかもしれない。いや、自分の手で築けたかもしれない。餓えた男は、小编と同じ顔、金銀妖瞳の瞳だった。

ロイエンタールは再び吐息した。

なんと欲深いものか、と。いや、堪え性がなかっただけかもしれない。俺の感情は、一切を消したはずではなかったか。俺の方を向いてくれずとも、利用してくれればそれで本望だと。だが。

望んだ身体は、腕の中にある。

欲した身体は、幾度となく我が手で果てた。

俺の全てを捧げた。無償と心得、見返りを求めず、思いつく限りの手を尽くして貴方のためだけを考えた。

だが―――何も、残らぬ。

それでいいと。それで10分だと、納得したはずだったのに。中途半端に与えられれば、より欲しくなる。長くなれば、焦らされれば、その想いは強くなる。契約違反だと1贰分承知しているが、頭と心思は別問題なのだ。

険しい彼の顔に、ふっ……と冷笑が浮かんだ。

俺も存外、人の感情というものが備わっていたのだ、とこの歳になって初めて気付いた。理性と感情が相反することなど、これまでにはない。いつも物足りぬほど冷静で聞き分けが良く、頭で考えた以外に特に感情らしい拘りは持ったことがなかった。それが、だ。

こと、あの方になると感情が先行する傾向にある。人並みに人間らしい感情があるではないか、と笑ってみたくもなる。だが、これは意外に厄介だった。

作者に強いられたから、と被害者面は気にならないのに、そうされることが返って辛く。身体だけ与えられて、他のものは一切やるものか、と逆に突き付けられているようで、笔者を苦しめた。

本当に欲しているものが、身体を重ねる度に遠のいてゆく気がする。手を伸ばせば伸ばすほど。掴もうとすればするほど、遠ざかり、ますます苦しいのだ。

それでも呼ばれればゆく。目の前に身体があれば抱いた。以前のように無理やり犯したりはしない。バランスを崩して、俺のせいにするようになってからは、追い詰めまいと必死に自制してきた。

意に沿わぬことがあれば、鬱憤を晴らすように俺を呼びつける。そして有無を言わせず、当然のようにセックスを強要した。無論、俺が強いたと思わせるように。

互いに精神のバランスをとるのに必死だったのかもしれない。関係を終わらせることを考えなかったのが、むしろ不思議に思えるほど。当然のように少しずつずれてゆく軋みに、心が痛みを感じていた。

時の経過とともに、あの方も俺も様々に感情が移ろぐ。どうして何も応えてはくれないのか。何も許してはくれないのか。その訳は知っているはずだ、何を今更、と自分の中で問う者と窘める者が混在した。

ちょうどこの頃だろうか、あの女―――エルフリーデと知り会ったのは。初めは興味などなかった。しいて言うならば、母を思い出させた手くらいだろう。それが捨て置く者と、そうしなかった者の岐路と言えようか。それと。

さすがに言い寄って来た女ではなかったからな、俺に求めようとはしなかった。愛してくれとも結婚してくれとも迫らなかった。不快極まりない愛情とやらの押し付けがなかったから、楽だったのだ。

嫌がる彼女を無理やり抱いた。気が強く俺を睨むのさえ心地いいと思った。もっと抗え、もっと俺を恨め、と欲した。

どこかで重ねていたのだ。あの方が罪悪感にさいなまれ、抗っていたころに。どんな眼差しにせよ、俺という存在を見て、俺の方を向いて欲しかった。たぶん、その表れだろう。

満たされぬものを、無意識に補おうとしたのかもしれない。詮無きことを、と思う。所詮、代替は利かぬのだ。いくら他で誤魔化してみたとして、本物に勝るものはない。

あの女を抱けば抱くほど、あの方に対する欲求は膨らんでいった。それはもう憎悪と言っても過言ではないほど。あの方の被害者面も次第に変わっていった。作者の強すぎる心境が、恐れさせたのかもしれない。

口数は減り、行為が済めば眠ったふりを決め込む。背を向け、全身で拒むのだ。余計なことを問うな。要らぬことを申すな、と無言のままに。

ならば何故、俺を呼ぶのか。

恐れと、怪訝の混じった顔。視線が合えば、それとなく逸す。会話はない。視線を交えることもない。もう、この頃になると己が感情さえ解からなくなっていた。ただ、目に見えぬ細い糸が、双方を結わえていて、ほんのわずかでも片方が動けば糸は切れる。とにかく切るな、微妙な関係を維持させるのだ、と互いに強迫感に囚われていた。

息を殺し、それでもセックスだけは切れない。生かさず殺さずで、真綿で首を絞められたように。そんな荒んだ状態の中で、あの契約の夜から気付けは一年半が過ぎていた。

つづき・・・

――― 天国への階段6 ―――

ハイネセンの大本営は美術館。庭一面に薔薇が咲き、噎せ返る甘い芳香が辺りを包んでいた。ある穏やかな日差しの日、散歩に出かけた皇帝を追って庭に出た。

ふと目に入るは、薔薇の花。血を思わせる深い紅色の花弁。他にも華やかな黄色、愛らしい桃色などが咲き乱れていた。

その中で一際目を惹いたもの。深緑の葉、赤や黄色の中で何ものにも汚されずに咲く花。淋しく儚げで、それでいて高貴で純潔の白い花。手にしてみれば、肉厚でしっとりと滑らかなそれは、わずかでも力を籠めたなら、醜く傷ついてしまう繊細なもの。

ふわりと包まれる芳香。それは決して他の花のように、女の香水を思わせる不快なものではなく、あくまでも仄かに香る清らかな匂い。

じっと見つめていれば、その純潔の前に膝を折り、掌でそっと包んで守りたくなった。

彼の脳裏である人との面影と重なる。

長く伸びた金色の髪が、風になびいた。白い肌が、花弁のそれを思わせる。仄かな芳香も、純潔さも。そして高貴な姿も。何もかもラインハルト・フォン・ローエングラムを思わせた。

ロイエンタールは手を伸ばした。包もうと、手に入れようと。

刹那―――一陣の風が吹き抜ける。

花弁は触れる前に、風に煽られて手をすり抜けた。

茫然と見遣る。叶わぬのか……と。喩えた花でさえ、手に入れることは出来ないのかと。

その時、遠くから笑い声が聞こえた。聞き違えようもない、あの方の声が。自然と足はその方向へ向いた。

次第に歩幅が広がる。徐々に鮮明に聞こえる笑い声に、自分の聞いたことのない声に、苛ついたからだ。

最初に見えたのは、植木に這い蹲るビッテンフェルトの髪。そして樹の根元に腰を下ろし、腹を抱えて笑っている白い花。前後の成り行きなどは知らない。そして、そんな穏やかな笑顔のあの方も知らない。

やがてビッテンフェルトが紙切れを持って駆け寄ってくる。それを受け取っても、なお笑いが収まらない様子に、彼も苦笑を浮かべる。何か指示を与えて、すまなかった、と身振りで謝りビッテンフェルトを下がらせた。

遠ざかる後ろ姿を、やわらかな顔で見送る。そして空を見上げて、ゆったりと深呼吸などして……。

何故、ビッテンフェルトには笑いかけるのか。

何故、ビッテンフェルトの姿は、その瞳に映すのか。

何故、俺に与えぬものを、他の者に与えるのか。

俺をどうして拒む?

俺をどうして見ない?

腫れ物に触るように、細心の注意を払わねば、俺とともに居られないのはなぜか……と、疎外感、怒り、焦り、様々な感情が一気に溢れ出す。

貴方は、そんなに笑う方だっただろうか?

俺には見せぬ姿。

俺は―――。

俺は、貴方のために尽くして来たではないか……。

煮え滾る苛立ちは、憎悪にも似て全身を駆け巡った。

何故か。

何故か。

何故か……訳を問いたい!

大股に歩み寄った。のんびりと陽にあたった花は、気持ち良さそうに目を閉じて伸びなどしている。その穏やかな姿に、また怒りが増す。

目の前に立った。

白い肌に、影が落ちる。

反射的に瞼が開いた。

俄かに瞠目する瞳。恐怖に彩られた花は、逃れようと樹に迫り上がる。

逃がすまいと両脇に手をついた。

逃げ場を失った花は、恐怖に瞠目し、声を失った。何か言葉を発しようとした唇は、声を失って震えだす。その口許を見ていたら、また無性に腹が立った。何故、俺に脅えるのか…と。

怒りに顎を掴んだ。情のかけらもない強引な所作で。嫌がるのも、痛がるのもねじ伏せて強引に唇を塞いだ。

それでも、逃げようとする。力ない手で俺の腕を叩き、拘束を解こうとする。

問うてしまえ。俺を拒む訳を問うてしまえ、と顔を覗き込んだ。

野心と自信に満ち溢れていた蒼氷色の瞳に、鋭き眼光はない。

腕の狭間で、ガタガタと震える花が一輪。

恐怖に慄き、哀しく瞠目した白い花。

息を呑み、蒼氷色の瞳を見つめる。

そうさせているのは、俺なのか?

俺が―――怖いのか?

クソッ……と、己の腹立たしさに、拳で樹を打った。

この場から逃げたい。やり場のない怒りに、散策路を大股で縫った。

俺は……俺は……。

あの時言ったではないか。私では忘れさせてやれまいか、と。たとえ私の方を向いてくれずとも、私を利用することで忘れることは出来まいかと。それなのに、俺は何時の間に強欲になったのだ。

あの方を恐怖に陥れたのは誰だ?

あんなにも怯える目で、俺を見るように差し向けたのは誰だ?

俺を捉えて放さなかった、鋭き眼光を放つ蒼氷色の瞳。あの目を瞠目させ、曇らせたのは誰だ?

全て、作者ではないか。受け入れられもしない情を一方的に押し付けられ一点也不快に思うのは当然のこと。それはこの笔者が一番よく知っているではないか。作者がされて一番非常慢に思っていたことを、作者があの方にしていたとは……。

所詮、生まれて来るべきではなかった身。分相応というものがある。あの女が―――エルフリーデが言った。お前は何を求めているのか、金髪の女は振り向かないのか、と。

求めるもの。それは何なのか、俺にも分からん。別に笑いかけて欲しい訳でもないし。愛だの好きだの言葉もいらん。ただどうしようもなく欲しくなる。中身のない身体だけ与えられれば、その中身も欲しくなる。全てがこの手に入らないのなら、いっそ無の方がいい。

固く結んだ口許がわずかに歪む。そして、声のない自嘲が漏れた。

手に入らない―――それは、当然の事ではないか。だから、中身がないのも当然。作者も今更気付いて何になる。あの方の中にはキルヒアイスしか生きてはいない。笔者如き、入れる余地もない。それを承知の上で抱いたと言うのに。

全てか、無か……。

あの時は考えもしなかった。それでも俺はわずかな希望を持ってしまう。いつか、あの方はいつか、俺を見る時が来るだろうか。なにもキルヒアイスにとって変わろうと言うのではない。ただ、何も残らぬ身体だけの関係では、あまりにも哀しいではないか……。

あの女を抱き、他にも記憶に残らないほど女を抱いた。満たされぬものを誤魔化すように手当たり次第。つけは思わぬところから返ってきた。

あの女をもってして不穏の気配あり、と告発されたのだ。

審問会でのミッターマイヤーは、申し訳なく思うほど俺を弁護してくれた。だが、あのときの俺は、向けられる眼差しに心を奪われていた。

久方ぶりに見る眼差し。逸らされることなく、まっすぐに向けられて。蒼氷色の透き通った瞳が、脅えつつも徐々に光を戻していった。こんな関係になる前の、ヤツが生きていた頃の話を持ち出して、正気を取り戻してゆく。その真意が、ありありと見て取れる自分が疎ましい。知りたいことは解からないのに、知りたくもないことは、嫌でも感じ取ってしまう。

望んでいたのだ。こうなる前に戻ることを。幾度の逢瀬もセックスも忘れ、昔の関係に戻ることを。何もかも無かったこととして忘れたいのだ。

肝心の心の奥底は覗けない。けれどもそんな感情は手に取るように解かってしまう。嫌でも思い知らされる現実。どうあっても、この手には届かないのだと。いくら焦がれようも欲しようとも、所詮、手が届かないのだ。

餓えて餓えて、どんなに求めたかしれない。けれども、もう、満たされることはない。憎悪にも似た熱い滾りが凪いでゆく。まるで冷水を浴びせて、この情炎が消されるように。

契約を解消し、昔に戻れるのならば、あの方は俺を見る。脅えず、蒼氷色の澄んだ瞳で俺を見る。皮肉なものだ。あれほど乞うたものが、全てを忘れたなら得られるというのか。結局、一方しか手に入らぬ。俺には、遠くで輝きを見守ることしか出来ないのだ。

謹慎を命ぜられ、宿舎であるホテルに戻った。高層ホテルの上階の部屋で。オーディンとは異なる街並みを見下ろして、酒を飲んだ。喉が焼け付くのもかまわず、氷も入れずに一気に煽った。

何も考えられない。

胸の辺りに穴が開いたように、空虚に風が吹き抜ける。

初めて、泣いた。

涙があることに気付くと、急に胸に痛みを感じた。

掴んだグラスが割れ、破片と衝撃で傷を負った。血が流れた。割れガラスの上に、ぽたりと滴り落ちる。だが、そんな痛みなど、心に感じたものとでは比にならない。

どうしてこんなに痛むのだろうか。立っていられなかった。崩れるように膝を折り、顔を上げることも出来ない。呼吸する度に、胸に激痛が走る。このまま息絶えてしまうのではないかと思うほど。

関係を絶ち、過去を清算する。初めからなかったように忘れろ、とあの眼差しが望んでいた。それでも。

貴方が望むのなら、と。

貴方が、それを望むのならば、完璧に演じてみせようと誓った。何もかも忘れ、初めから何もなかったように演じてみせようと。

涙が、溢れた。

漏れる嗚咽を塞ごうと、覆った指の間を伝って。

自分に、これほど涙があったことを初めて知った。そして俺は、唐突に気付く。たぶん、これが―――。

この痛みが、愛するということなのだろう、と。

ロイエンタールはゆっくりと瞬いて、星を見た。

そっと苦笑し、それにしても昔のことが思い出されるものだ、と息を吐き出す。

振り返ってみて、三十も過ぎた男が、九つも若いそれも男にあれほどまでに夢中になるとは、いささか失態ではなかろうか。だが、それほど価値があったのだ。触れたいと願い、見て欲しいと乞うほど。まあ、長くはない人生に、一度くらいそういった感情があってもいいのかもしれない。

再び星に目をやった。否、星ではなく、そのあるべき艦を探したのだった。

在るはずのない艦影。あの方と同じ、白い肌のブリュンヒルト。ともに帝国の簒奪を志して、戦った艦。今は遠い彼方で、俺の死の報を待っているに違いない。

朧気ながらに視界に浮かぶ艦影を、ぼんやりと見つめて。

あの方は、今頃どうしているだろうか。体調すぐれぬと聞いているが、大丈夫なのだろうか。

皇帝。

俺の……。

「……皇帝」

つづき・・・

――― 天国への階段7 ―――

「これは……」

ベッドに半身を起こし、搾り出すような掠れ声とともに、事務的な素っ気ない便箋をゆっくりと握りしめた。

副官シュトライトは悲痛に歪んだ顔で、皇帝を見た。

彼が運んできたのは、ミッターマイヤー元帥からの通信文だった。内密に伝えたかったと見え、シュトライト宛に记号文で伝送されてきたものを、彼が文字に起こしたものだ。内容は、起票者である彼と、今通讯文を読んだラインハルトしか知らない。

本来はFTLで直接伝えるべき内容だが、それ故に、逆に皇帝に問い返されるのを恐れ、敢えて通信文で送ってきたのだろう、とシュトライトは推測した。

握ったままの便箋を見つめる瞳が、瞠目してゆく。わずかに指先が震え始める。シュトライトは、何も言わず皇帝の寝室から出た。傍にいることが息苦しかったし、そっとしておこうと思ったのだ。

剧情は、ロイエンタールの叛乱が、地球教徒残党の策謀に端を発し、それに便乗したグリルパルツァーの野心によって、過剰に演出された可能性がある、というものだった。

調査に当たったメックリンガーは、この事実を掴んだとき、ミッターマイヤーに告げるべきかどうか悩んだ。けれども、ロイエンタールが戦闘中負傷を負って、それがどうやら致命傷になっている旨を聞いて、決心したという。

彼の中には、一緒に戦ってきた仲間を真の叛逆者にしたくはない、という思いと、せめて、皇帝に対してだけは少しでも汚名を雪いでやりたい。そして、あわよくばこれで元帥号が返還されはしないか、と幾ばくかの希望が見え隠れしていた。

報告を聞いたミッターマイヤーはしばし沈黙し、この件は我に預からせてくれ、とだけ言った。彼も悩んだのだろう。だから、私文という形をとってシュトライトから伝えてもらったのだ。無論、FTLの前に何度も立った。けれどもどうしても直接伝える気にはなれない。もし、本当か、と問われれば、そうだ、と答えるだろうし。そうなれば、勅命を出した君主に対して異議を申し立てている、と取られるかもしれない。遠まわしに責めているとか、今更弁解をしているとか、様々な思いに揺れた。それに……。

再三に渡り、ロイエンタールの肩を持ってきた彼だ。今更、ほんのわずかでも皇帝が躊躇いを見せたなら、この手で致命傷を負わせたことに、どれほど悔いるか想像もできない。様々に思い悩んだ結果、ロイエンタールの親友として、彼の最期の思いを伝えることに決めたのだった。

彼の、唯一自ら膝を折った人へ、真実を。

ラインハルトは独り、ベッドの上で通信文を握り締めた。

「ロイエンタール。お前を新領土へやったのは……間違いだったのか?」

早就は忘れようとした関係。所詮、契約事のような利害関係だ。そんなものは簡単に忘れられる、と踏んでいた。彼の方も別れを悟って、あのギラついた憎悪を金銀妖瞳の眼差しから消した。まるで重い荷を肩から降ろしたように、静かなそれになった。それなのに。

気付けば自分が思うより、彼の存在は大きくなっていた。それと知らしめられたのは、ゼッフル粒子引火事故。爆発直後、彼の安否はようとして掴めなかった。そんな中、緊急対策本部の陣営に、彼の宿舎としたホテルを含む地域が壊滅状態にあり、生存者0という報が飛び込んできた。どれほど動揺したか知れない。目の前が突如暗闇になり、あろうことか気を失った。

死んでしまったのかと。もう二度とあの魅惑的な瞳で俺を見ないのかと、生きた心地もせず、不安に慄いた。

そして、気付いたのだ。

何時の間にこれほど深く入り込ませたものか、と。キルヒアイスただ一人と決めていたのに、気が付けば、失うのが恐怖に思えるほど存在を大きくしてしまっていた。

混乱に気を失い、熱に浮かされていた間、彼の名前を呼んだかもしれない。失いたくなくて、失うのが恐ろしくて叫んだかもしれない。そして暗闇の中から声が聞こえた。低く耳の奥に響くような彼の声が。

彼の生存を確認したとき、全身が熱く滾った。今まで塞き止められていた血流が、勢いよく流れ出したように。

耳の奥に何時までも残る、俺を包む声音。今更ながらに突きつけられた現実に手が震え、心は激しく揺れた。そして、俺は思い知った。

彼の手が、この身体に染み付いている、と。

彼の与える快感を、この身体は欲している、と。

後は夢中だった。大本営を抜け出し謹慎している彼の元へと走った。訳も言わず問わせず、抱き合った。

胸のペンダントが気にならなかった訳ではない。キルヒアイスただ一人、の誓いを忘れたのでもなかった。それ以上にロイエンタールを欲していたに過ぎない。

初めは罪悪感から逃れるために利用した。解消されない苛立ちも、正体の判らない不安も、行為の間は忘れることが出来たし、気を失えば心から眠ることが出来た。時折、異常に人肌のぬくもりが欲しくて不安になるときもあり、誤魔化しながら関係を続けて来のだ。

それでも回数を重ねるごとに、セックスに慣らされてゆく自分の身体が許せなくなる。そんな己への嫌悪感と、手放せない開放感が妙なバランスを保とうと必死になっていた。

だから彼のせいにした。最初から無理のあるバランスを保つのは難しいのだ。当然、限界はすぐにやってくる。そして俺は―――安易な方へ逃げた。

ロイエンタールが求めるから、仕方なく抱かれてやっているのだ、と。俺に感情はない。ただ彼がしつこく求めるから、と。そう思わなければ自分の足で立っていられなかった。罪悪感と、自分への嫌悪感で押し潰されそうだった。

そんな俺の態度に嫌気がさしたのか、何も求めないと言っていた彼が、哀し気に俺を見始めた。初めは同情かと思った。でも、違うのだ。

得られぬものを求めようと必死になって縋ってくる。次第にエスカレートし、俺の何もかも食い尽くそうと凶暴になって。

重かった。疎ましいとさえ思った。けれども哀しいかな、この身体に染み付いてしまった快楽が、彼を求める。この身体が求めてしまうのだ。だから怖かった。彼が哀しいと感じる訳をぶつけられるのが怖かった。誤魔化し続けた現実に眼を向けさせられるのが。

脅える自分。問われはしないかと、いつも神経を尖らせて。そんなことなら接触を絶てばいいのに。それが出来ない己の不甲斐なさに、また脅えた。

抑圧されたものが解放され、素直に彼の存在を認めたとき、身体は本能に突き動かされた。宿舎を移し、尚も謹慎している彼の元へ向かう。片時も離したことのないペンダントを置いて。止まろうなどという理性は、全く働かなかった。肌が、血が、求めて止まない。

ドアを開け、俺だと知った衝撃に瞠目した。一度は別れを悟った瞳が、幻かと瞬く。構わず懐に飛び込んだ。躊躇いながら回される腕。一瞬の隙をついて俺の方から口付けると、俄かに力が籠もった。

眼差しが問いかける。本当にいいのかと。自分を抑えることなく求めていいのか、と。いつも自信に満ちた大人の眼差しが、不安に揺れていた。そして俺は、もどかしげに乞う。

「抱いてくれ……」

どうしようもなく、身体がロイエンタールを欲していた。ペンダントを置いてきた罪悪感を払拭したかったかもしれないし、彼の存在を、自分の中で認めたからかもしれない。禁忌とさえ思った言葉が、口をついて出た。

後悔はなかった。強く強く愛してくれ、と身を委ねて。

彼の部屋に似つかわしくない花の香り。導かれた寝室に漂っていたのは、仄かな甘い芳香。ベッドの脇の大きな花瓶に生けられた、白い薔薇の花に目に止まる。

一輪手に取り、芳香を楽しむ。彼は、それが俺に似ているのだと言った。何処を見て、俺に似ていると言いたいのかさっぱり解からない。けれども、似ていると喩えたその花を、寝室の傍らに置いていたことに、身体が熱くなった。それは即ち―――貴方を傍に置いておきたい、とそう告白したことに他ならない。

後ろから抱きすくめられ、手に取った花は絨緞に落ちた。本来、生きるべき場所から離れ、地に落ちた花から目を離すことができなかった。無性に心騒いだ。深く暗い色の絨緞に相反した、白い薔薇の花。時間が経てば、間違いなく萎れてしまうだろうそれを見つめ、唇を塞がれた。

頬を包まれ、慈しみあうくちづけ。

やさしく、想いを含んだくちづけ。

もう幾度となくキスをしてきたが、これほどまでに、やさしさに溢れたものがあっただろうか。夢中になって求めた。息苦しさなど気にならない。ただ無性に欲しかった。

初めて、一方的でない行為をした。求めて、求められて、今までのとは比べ物にならないセックスだった。もっと欲しくて、早くこの身体を満たしてほしくて、初めて自分から手を伸ばした。同じ形をした同じ性器を口に含み、早く挿れてくれと強いた。もう、彼のせいには出来ない。自分の意思で脚を開き、自分の意思で受け入れたのだから。

突き抜ける熱い情熱。身を震わせ、足の指先までピンと張り詰めて、襲ってくる快感の波に溺れた。絶頂と充足感に包まれて、意識を手放しかけたとき、たぶん俺は口走った。

愛している―――と、吐息が確かに音になって。

一眠りして、夜中に目を覚ました。眼下に広がるフェザーンの街並み。夜空に見える星が美しかった。暗闇の中、白薔薇の香りに包まれて。あたたかな腕の中で星を見上げる。

昔、誰しもが一度は夢見たこと。手を伸ばせば、あの星に手が届くのではないか。けれども成長するにつれ、それは叶わないのだと知る。だが、皆が無理だと諦めても俺には可能だと、いや、叶えてみせると誓った。

俄かに瞠目する、蒼氷色の瞳。

夢ではない。大人になり、もっと力を得てあの星を掴むのだ。多くの犠牲を払い、そのために邁進してきたのだ。そして、あと一息でそれは叶えられようとしている。そう―――だから……。

こんなところで時間を浪費していいはずがない。こんな風に寄り道をして快楽に溺れ、あろう事か男の腕に抱かれて。犠牲になった者へ、顔向けができようか。失う恐怖に脅え、誰かの傍にいないと、自分を支えていられないほど弱って。それで宇宙を手に入れることなど、笑止。そんな弱き己で戦って、手に掴めるほど宇宙は軟弱ではない。

突如、揺らぎ始めた心を見透かしたように、彼の手が背中を撫でた。不安に脅える子供をあやすように。ゆっくりと何度も何度も撫でてゆく。

ますます、縋りたくなる弱き心。誰かが傍にいて、いつも見守ってくれているという感覚は、酷く自分を甘やかす。つい、頼ろうとしてしまう。居心地のよいぬくもりに、脳髄までとろけてしまいそうだ。

このままでは本当に自分の足で立てるがどうか、恐ろしかった。まだ、誓いは果たせていないのに。彼との―――キルヒアイスとの誓いは途中ではないか。彼の命を奪っておきながら、交わした誓いは二の次。そんな不条理が赦されるはずがない。

髪が梳かれ、背を撫でる。

益々、萎えそうになる揺れる心。

断ち切らねば。今すぐに断ち切らねば、小编はどうにかなりそうだ。何もかも中途半端で、深い情の淵に堕ちてゆく気がした。犠牲は犠牲のまま、何も生みはしない。過去の全てが無に帰してしまうのだ。

彼の、死を。

キルヒアイスの、死が。

だから、断ち切った。二度と間違いを犯すまいと、遠くに……。

それは、ぽっかりと開いた淵の端だったに違いない。ほんの半歩踏み出せば、情の淵に堕ちていた。寸でのところで我に返り、今度こそ彼を断ち切った。利用し、利用されるのではなく、対等の付き合いが出来るように自分の整理をつけるまで。そう―――。

キルヒアイスと交わした誓いの後でなら。もし、彼がそのときまで待っていてくれるのなら今度こそ、その腕の中で眠ることが出来る、と。

赦してくれ……と呟いて、腕の中を抜けた。起きているのに、眠ってなどいないのに、彼は固く目を閉じたまま、何も問わなかった。ただ、眉間に刻まれた深い溝だけが、彼の苦悩をありありと物語っている。

精一杯、気付かぬふりをしているのだろう。いつかの夜の逆だった。俺は背を向け寝たふり。ロイエンタールは黙って寝室を出てゆく。問われることを恐れ、責められることに脅えていた日々。

リヒテンラーデ候に連なる女。それを謀叛の疑いとするならば、俺はその処分を謹慎と決めていた。けれどもこの夜、赦してくれ、とだけ告げて帰った夜、謹慎と記しておいた公文書を焼き捨てた。代わりに記したのは、ノイエ・ラント総督。傍にいれば、また縋ってしまう。あの眼差しで見つめられたら、身体が疼いてしまいそうだった。だがら―――。

遠くに追いやった。離れていれば。距離さえあれば自分を奮い立たせることが出来る、と。

突然遠くへ追いやった詫びのように、強大な権力を握らせた。いや、俺の相手に相応しいだけの地位と権力を持って欲しかったのかもしれない。飼われる犬のような臣下ではなく、いつも自信に満ちた彼本来の、挑発的な人であれと。誓いを成就させた後、再会したとき少しも落胆などしないように自身を高めていろ、と。

確かに、あの情熱を愛というならば、愛していたのだと思う。けれども、普通の恋人のように、甘い言葉や生ぬるい愛撫など求めてはいない。俺たちの間には、一時も気を抜いてはならぬ駆け引きのようなものこそ必要なのだ。

互いにある程度、考虑回路は読めた。だから期待してしまう。彼ならば、ここまでは応えてくるだろう、と。そしてそれが、想像を超えたものであれば、笔者は高揚する。セックスで得られる快感のように、高揚するのだ。

だから、彼が停滞することなど許さない。俺に認められた男であるならば、常に期待に応えよ。俺の想像を超えて見せろ。それは俺自身にも同じことが言える。

ロイエンタール、お前も俺を見ているだろう?
自分の想像を如何に超えてくるか。いや、予想など出来ず、常に超えられない存在であって欲しいとすら願っているだろう?
だから、お前は赦せなかったのだ。

この俺が病に臥し、オーベルシュタインやラング如きに傀儡されるなど。
実際、傀儡になどされてはいないが、お前の目に、俺がヤツらの範疇に納まっていると、そう映ったのであろう。あんな通信文を送って寄越すなど、俺を試したに過ぎないのだ。

ああ、ロイエンタール。

お前は、何を期待していたのだ。

ラインハルトは、聞こえぬはずの声を聞き取るように、耳を澄ました。

そっと目を伏せ、意識を集中させる。

ロイエンタール……。

声が聞こえる。お前の、低く響く声が―――我が皇帝、と呼びかける美しい声音が。

瞼に浮かぶ金銀妖瞳。

自信に満ちた顔で、口許が物言いた気に笑っている。

試しているのか、或いは、挑発しているのか。

鼓動が、激しくなる。

身体が、熱を持った。

手にした通信文を更に握り締めると、螺旋を描いてミシミシと音をたてた。喘ぐように唇を震わせて、かっと見開き天を仰ぐ。

全身が戦慄き、睫を伏せた。声が身体を犯してゆく。植え付けられた快楽の種が発芽する。養分を欲して、全身に根をはりめぐらせるように、背後から、大きな手が這い上がってくる。あの頃のように、肌の上を這って首にまとわりつき、ぎゅっと抱きすくめられて。

身体が震える。

もたらされる快感を想像して、熱く疼く。

ああ、身体の芯に火が点る。うっとりと蕩けてしまいそうになる。ここにはいない。傍にいないのに、あの頃の感触が蘇ってきた。

「ロイエンタール……」

お前ほどの男が、地球信众の残党と部下に謀られるなど信じられようか。たとえ、それと知ったならば、自分が外人の策に落ちたなど、お前の矜持が許すはずはない。お前は、我以外に膝を折ろうとはしないからな。だから、陥れられたと認めるより、むしろ自分の意思で決起したことにしたかった。己の謀られたゆえの弁明など、お前には出来んからな。おおかた、そうであろう。

お前らしい。俺の忠実なる臣下でいることよりも、矜持を貫くことを選ぶのだから。俺は、そんな風に貫こうとするお前が好きだ。不器用に見えても、体よく立ち振る舞う輩よりも、潔いではないか。

謀られたことを知り、現在に至るまでを想像した。彼の考虑回路は粗方理解できる。だからどんな風に考え。今に至ったか思い描く。不思議だった。知りえるはずのない光景が、脳裏に次々と明滅した。

途端、金の髪が波打ち、身を竦めて。

そうか……。そういうことか。

喘いだ口許から、艶やかな吐息が零れる。

どうしてくれる。この身体を、こんな風にしてもまだ飽き足らぬか。

お前―――戦いたかったのだろう? 俺と。

見ろ、指先まで火照って高揚している。

漲る高揚が、全身を駆け巡る。

ああ、やはり俺が認めた男。俺の思惑を超えてくる。対等の権力を得たなら、俺と戦いたかったのだろう。ミッターマイヤーに任せたが、見ろ、この手の戦慄きを。滾った血で紅くなった肌を。お前、俺を挑発して戦おうとしたのであろう。

こみ上げてくる笑いを抑えきれず、その唇から発しようとした瞬間、驚愕に沈黙した。

ぽとり、と手から通信文が落ちる。

虚脱して、ベッドへへたばった。

ゆっくりと瞼が開き、蒼氷色の眼を瞠った。

唇が、言葉を捜して半開きになる。それでも、適切な言葉が見つけられず震えたに過ぎない。力のない空気が肺から送り出されるだけで、一向に声にはならなかった。

細く長い指が口許を覆った。

蒼氷色の瞳が、瞬く。

遠くへ―――遠くへ、追いやったのは誰だ?

強大な権力と、軍事力を持たせたのは?

挑発したのは、本当にロイエンタールの方か?

条件を揃えたのは他でもない、俺ではないか。

俺は……。

俺は、屈辱の逃避行の最中、何を思った。ロイエンタールを信じてやりたい思いと、屈辱に抑えきれない憤怒。そして、謀叛の疑いあり、と認めざるを得なかったとき、忘れかけていた血の滾りを感じはしなかったか?

ゴールデンバウム王朝を倒し、同盟領を掌握し、そして宿敵ヤンを失った。何も残らない感情。空虚で、どこか乾いた心。全身から高揚することもなく、まるで枯れてしまったかのような魂。常に戦いの中に身を置いてきた俺は、戦いのない世など考えられなかった。頭では、平和な統治こそ、と判っているのに。

あの時確かに、高揚した。

ミッターマイヤーに勅命を出したとき、内心、断りはしないか、とどこかで望んではいなかったか。もし断るならば、この宇宙でロイエンタールに勝てるものは俺しかいなくなる。俺と戦ってこそ、ヤツ相応の戦いが出来るではないか、ともっともらしい理由を唱え、その実、相応の戦いを望んでいたのは……。

我たちは、思虑回路が似通っていた。だからこそ、おおよそ相手の考えそうなことは感じ取ることが出来た。そして、それが一致しているなら満足し、想像上述であるならば、性欲にも似た快感を。

確かに、ことは地球教の企みに端を発していたかもしれない。それでも、この結果を招いたのは―――否、望んだのは俺ではなかろうか。ロイエンタールはそれを見越して期待に応えたに過ぎないのでは。

地球教に謀られ選択を迫られたとき、どの途を選べば自分らしいか、俺の想像を超えられるか、考えたに違いない。

そうだ。

彼は、ロイエンタールは、いつも俺の反面を突いてくる。人に隠さねばならない疚しい欲求を突いてくる。俺が巧みに隠そうとしても、あいつには判るのだ。

軍人たるもの、強大な敵を欲するもの。自分の抱える軍力が強大であるならば、相応の強大な敵を。全知全霊をかけて挑まねばならぬ者を求める。所詮、血を見ずしては生きてゆけないのだ。哀しい性というべきか。戦うための正当な理由などなくてもいい。ただ、目の前の強敵を倒したいだけ。倒すための過程を楽しみたいのだ。

ロイエンタール。お前をノイエ・ラントへ行かせたのは、あの時は本当に距離を置くためだった。だが、ヤンを失い、その残党であるイゼルローンのヤツらを掌握したら、後はどうなる。何もないではないか。

他に対抗しうる存在といえば……。

強大な軍をもち、知性と統率力に優れ、この俺と戦うに値する人物といえば……。

叛逆者という汚名を着ようとも。五百万の将兵を犠牲にしようとも。この俺の性を満たしてくれるもの。血の渇きを潤してくれるものは……。

長い指が背を撫でる。あの頃のままに抱きしめ、首筋に息がかかる。罪悪感に身を硬くした俺を、あやすような手つきで求めて、そして身体を開かせて。ああ―――。

ロイエンタール、お前だけだ。たった一人お前だけが、俺の疚しい心を戒めもせず満たそうとしてくれた。お前だけが、本当の俺を求めていてくれた。

判る……。

俺には判るぞ、お前は叛いたのではない。俺と、自身の性のために起ったのだ。

死ぬな……。

ロイエンタール、死ぬな。

最期に。

もう1度最期に、お前に、逢いたい……。

つづき・・・

――― 天国への階段8 ―――

俺にも、なけなしの良心は残っていたと見える。だが、あのとき良かれと思って見送った結末が、こんなことになろうとはな。

ロイエンタールはハイネセンに帰投した。その顔は血の気を失い、青白い死相に彩られている。

進発したときの華やかさはなく、数においては一割強にまで減少していた。整然と接舷してゆく数少ない艦に守られ、傷ついたトリスタンは静かに動力を停止した。

支えようと伸ばされた手を払いのけ、彼は驚異的な精神力で立ち上がった。おそらく、もう二度と座ることはないであろう指揮シートを一瞥し、艦橋を出る。

死期は近い。時折飛んでゆく記憶に苦笑し、己が精神力の限界を冷静に見抜いていた。

エスカレーターを降り、地上車に乗り込む。幾多の戦いをともに潜ってきた艦を見上げた。苦楽をともにしてきた半身が静かに羽を休めている。あの、白いブリュンヒルトとともに広大な宇宙を旅した半身が、今、己が命と時を等しく、その使命を終えようとしている。

熱い思いが込み上げてきた。初めて旗艦を手にしたときの記憶が蘇り、共に歩んだ歴史が走馬灯のように巡った。深い敬意と労いの意を籠めて、心の中で敬礼する。振り向くことはなくとも、その姿が見えなくなるまで、敬礼し続けた。

閑散とした宇宙港。これが自分の選んだ途。結果を目の当たりにし、わずかに息を吐き出した。地上車に揺られ、瞼を閉じる。思い浮かぶのは、言葉少なく、この腕をすり抜けていったぬくもり。

最後に肌を重ねたのは、幻ではなかっただろうか。謹慎している宿舎へ、突如単身現れた国王。何も言わず、問うことも許されず、ただ抱いてくれ、とだけ紡いで。

焦がれて焦がれて望んだものが、やっとこの手に掴めたのだ。あのときの、踊る気持ち天にも昇る心地を、今でもはっきりと覚えている。

いつも身に着けていた、胸許のペンダントが見えない。垣間見たことがある。ヤツの遺髪と、幼き頃の写真が貼ってあったそれ。何かにつけ握り締めていた、あのペンダントを置いてきたのだ。だがら、手に入れたものと思った。

だが、人とは業なもの。一度掴めたならば、失う恐怖に脅える。よもや幻ではないかと疑う。そして、手痛い仕打ちが待っているのか、と構えもする。

あれほど人形の如くあった人は、自分から脚を開いた。自分の意思で抱かれることを望み、快楽に身を委ねて。

皮肉にも、戸惑う心。そして、一点の渦を生む。

もし、変わらず人形のようであれば、今までどおり俺が強いたことにして受け入れられたかもしれない。何の疑念も持たず、微妙なバランスのままで。あの人は被害者、俺は加害者として感情をコントロール出来たとしたら……。

一度生まれた渦は、次第に大きくなり奥底をえぐってゆく。

あの蒼氷色の瞳が、俺を映す。あの唇が、俺の名を呼ぶ。快楽に身を捩り、全身で求めようとしている。そうあればあるほど、戸惑いは強くなった。

相手は覇者。この広大な宇宙を掌握する者。万人の上に立ち、統治してゆかねばならぬ人。それが、こんな男の腕の中にいても赦されるのだろうか。大切な人が男に情を囁き、寝所を抜け出してまで、セックスに酔う。国民に慕われ、多大なる責務を負って生きねばならぬ人が、その本来歩むべき正路から、堕ちようとしている。

こんな男のせいで……。

これで、いいのだろうか。

これで、赦されるのだろうか。

渦の先が鋭利に尖り、心臓を掠め、ちりちりと痛み始めた。もう、被害者と伤害者ではない。利害関係の上に成り立った契約でもない。大切な人が、目の前で墜ちようとしている。いや、この手が堕とそうとしているのだ。本当に、本当に大切ならば、この手で堕としてもいいのだろうか。なけなしの良心が囁いた。そして渦が、作者の奥底にぽっかりと穴を開ける。見えなくてもいい本音を引きずり出すように。

奥底に見えたのは、黒い闇。餓えきって、今にも狂気に姿を変えそうな闇。歪みきって、抑圧された俺の本音がそこにあった。

正路?
そんなもの俺にあろうはずがない。こんな風に良心の殻をかりて、もっともらしく俺を諌めようとしても、本音は違うのだ。

小编は―――怖い。自分本身が怖くてたまらない。

今まで、加害者という立場で抑えてきたもの、契約という感情で割り切ろうとしていたものが、俺の貪欲な征服欲の枷となって抑えつけてきた。この状況は、その枷がなくなるということ。そんな状態になって、枷の外れた俺はどうなってゆくのか。歯止めの利かない欲は、あの方を食らい尽くしてしまうのではないか。

欲が、俺に囁く。閉じ込めて一人のものにしたい、と。部屋に繋ぎとめて一歩も出したくない。貴方の世界には、俺一人が存在していればいい。そう叫んで、そう欲して、すべてを捻じ伏せて……。けれども貴方は皇帝、そんな事が赦されるはずもない。

俺は、我慢できるのだろうか。この先、貴方が后妃を娶り、子を生していくことに。俺は、耐えられるだろうか。その腕が、別の誰かを抱くことに。

俺は―――正気でいられるだろうか……。

黒く渦巻いた邪念を払うように、あの人の背を撫でた。存在を確かめたくて、失いたくないと。その瞳に、俺を映してくれたことを幻にしないでくれ、と想いを籠めてそっと撫でる。だが……。

俺の本音が見えたのかもしれない。ぬくもりが、この腕の中から消えようとしていた。赦してくれ、と消え入りそうな声を残して。

全身が硬直する。赦してくれ、の意味を探して必死に考えた。そうしている間にも大切な人は、起き上がりベッドに腰掛ける。絨緞に落ちた衣服を拾い、衣擦れの音で袖を通したことを知った。

微かに聞こえる嗚咽に、泣いているのだと気付いた。どうしても目が開けられない。現実を見る勇気がなかったのかもしれない。

息を詰めて、音を聞き取る。何と声を掛ければいいのか。訳を問えばいいのか。一切の思考が停止したように何も考えられなくなった。

ベッドの端が揺れる。沈んだ反動が消えると、シーツの隙間から吹き込む冷気に、急に焦りが消えた。目を開けるべきではない、声を掛けてはならぬ、と諦めにも似た感情に支配されて。

外れかかった枷が、呟いた。

所詮、夢は、夢ではないか、と。

手に入れたと錯覚するは、幻想に過ぎない。

寝室の扉が閉まる音、それが夢の終わり。まだ、シーツにはぬくもりが残っていた。腕には生々しい質量感と、滑らかな肌の感触も。けれども、これでよかったのだ。何も問わず送り出したことは、あの人を正路へ戻す途なのだと。

悲しいはずなのに、どこか安堵する自分がいた。むしろ、狂気に呑まれる恐怖から、開放された気がしたのかもしれない。

長い時を経てから、そっと手を伸ばした。確かに存在していたぬくもりが、初めからなかったように冷え切っている。けれども、わずかな窪みが、夢が幻ではないと証明していた。

ゆっくりと瞼を開けた。シーツの乱れが、全てを悟らせるように悲傷を増長させる。俄かに感じた眦の熱さに、目頭を押さえた。柄にもない……と苦笑し、今度こそ別れだと。審問会のときに悟った別れとは違う。今度こそ、本当に別れる時が来たのだと知った。

起き上がり、腰掛ける。長い長い吐息とともに、両手で顔を覆った。ついに手に入れることが叶わなかった存在。何ものにも執着のなかったこの俺が、唯一欲した存在。俺にはその資格がなかったのか、或いは高望みだったのか……。

息を大きく吸い込む。そして両手をずらして、口許を覆った。息をゆっくりと吐きながら、視線を下げる。深い色の絨毯に映える白い花。あの人が水瓶から抜き取って、香りを楽しんでいたそれ。今は長い時間絨緞の上に放置され、萎れて輝きを失っていた。

そっと手に取る。哀しげに、淋しげに項垂れていた。姿を見た訳ではなかったが、去り際、嗚咽を漏らしていたあの人の姿と重なる。これ以上傷つけないように、花瓶に戻した。華やかに咲き誇る花弁の中に、暗く沈んだ花が一輪。輝きも力強さも香りも失っている。

もう一度、水を吸い上げて輝きを取り戻せるだろうか。

もう一度、華やかに咲き誇ってくれるだろうか

もう一度、甘い芳香を楽しませてくれるだろうか。

再び両手で顔を覆った。溜息とも嗚咽とも分からない吐息が漏れる。本来、生きるべき場所に戻したのだから、あの方も輝きを取り戻してほしいと祈って。

顔を覆った手を離す事が出来なかった。

赦してくれ、とあの声が耳に木霊する。

姿を見てないのに、涙を流すあの人の顔が脳裏から離れない。

だが―――これでいい。これでいいのだ、と自分を納得させた。ただ一度でいい、そう願った想いが叶えられたのだから。そして何より、たとえ一瞬であろうとも、共にこのベッドに在ったのは真実なのだから。だから俺は。

俺は、貴方が咲き続けられるように守ってみせる。

俺を捉えて放さなかった輝きを、絶えず放ち続けられるように守ってみせる。俺は、俺の―――愛し方で。

つづき・・・

――― 天国への階段9 ―――

総督府が見えてきた。着任して半年しか経っていないが、思えばもっと短いように感じる。ここへ着任したとき、半年後のこの結果を誰が予想しただろうか。まあ、オーベルシュタイン辺りは願っていたかも知れんが。その術中に嵌ってやったのは、俺としては面白くないが、致し方あるまい。

「閣下、総督府です。周辺には、なお四千名を超える将兵が最後まで閣下のお供をすると集まっております」

ベルゲングリューンの声に、ロイエンタールは閉じていた瞼を上げようとした。だが、本人の意思とは裏腹に思うようにはいかない。

誰にも気付かれぬように息を吐いて、気力を奮い立たせる。これから自分の足で歩き、執務室の椅子に身を預けるまで、何としてでもこの身を動かさねばならない。人の手を借りるなど、そんな無様な真似が出来ようか。

渾身の気力を振り絞って、ゆっくりと瞼を上げた。地上車は総督府の前で止まる。武器を携えた将兵が左右に整列し、最敬礼で迎えた。

「そうか。案外世の中には、馬鹿が多いな」

その最たる者は俺だがな……と、微かに口許を苦笑が彩った。さて、これから俺の、そう長くない一日が始まる。やるべきことはまだ山ほどあるのだ。

脚を下ろし、ドアを掴む。一瞬息を止めて、瞠って全身に力を籠めた。浮いてくれ、俺の脚よ全身を支えるのだ、と奥歯を噛み締める。

想像上述の激痛に、眉間に皺が刻まれた。ともすれば力が抜けて崩れそうだ。あと少し。執務室までの最後の時を、帝国元帥オスカー・フォン・ロイエンタールとして全うせねばならない。

歯を食いしばり、激痛に耐えて歩む。時折、視界が霞んだ。息が上がる。あと少し……あと、もう少し、と奮い立たせる。

執務室の椅子に、半ば崩れるようにして座った。もう、立ち上がることは出来ないだろう。そう明確に分かるほど、身体は衰弱していた。けれども萎えている時間はない。わずかに残された時間を無駄には出来ないのだから。

ロイエンタールはまず、軟禁していたエルスハイマーを呼び、政務と事務の全権をゆだねた。自分の後始末を他人に任せるのは、彼の本意とするところではなかったが、任命してくれた人への責務と、彼の統率者としてのプライドが、そうさせた。

これで預かった新領土の秩序は心配ない、と安堵し次の懸念に移った。どうしても目障りな存在は、この際排除しておかねばならない。本来ならば、正当なる理由が必要だが、死を前にして。それも叛逆者の身であるならば、正当性などこの際どうでも良い。

「トリューニヒトを呼んでくれ。あの男に会うのは不快そのものだが、死の不快さに耐える練習にはなるだろうよ」

朦朧としてゆく意識の中で、几人の顔が浮かんだ。オーベルシュタイン、ラング、そしてトリューニヒト。前者二名は、遠く離れた地にいる。報告によればラングは拘束されケスラーの尋問をうけているという。口惜しいが、オーベルシュタインは今となっては、笔者にはどうすることも出来ん。だからこそ、この地にあるヤツだけは、笔者の手で摘んでおかねばなるまい。

トリューニヒトは、必ずローエングラム王朝に仇なすに違いない。憂国騎士団なるもの、地球教などを利用し、民主共和制を食いつぶした輩だ。にもかかわらず、ヤツ本人はのうのうと生き延び、高档参事官として今がある。こんな异常的慢なことがまかり通るなど、作者慢ならん。

扉の開く音に、不快な臭いが紛れ込む。ヤツが来たのだ。見るも不快なトリューニヒトが。ロイエンタールは怒りを堪えて目を開けた。

理念鋭き、金銀妖瞳。顔は蓝紫く、死の影に覆われているのに、その眼差しだけは、今も鋭さを保っていた。

「元気そうで何よりだ、高级参事官」

「総督閣下のおかげをもちまして」

不快に吐き気をもよおし、奥歯を噛む。限られたわずかな時間を、この男のために割くのだと思えば、更に怒りがこみ上げてきた。けれども、白い薔薇の花に寄生する害虫は、あの輝きを守るために、早々に駆除する必要がある。

流暢に回る舌。害虫が人の言葉を話していると思えば、なおさら嫌悪感を抱く。いつかこの男も、あの方に謁見することがあるかと思えば、無性に腹が立った。同じ部屋に存在し、同じ空気を吸って、この害虫とあの方が何か一つでも共有する、これ以上の不快があろうか。

けれども、極力冷静であるように彼は問い返した。害虫相手に見境なく熱くなるなど、そんな無様な真似はできぬと。

「すると卿は、ローエングラム王朝においても、宰相となって権力を掌握するつもりか」

「皇帝さえ、そうお望みなら」

望む訳がない。お前など、あの方が要求とされるなどあり得んことだ。常に口ばかりで、本身陶酔と己の権力しか頭にない男に何が出来る。民主共和制を食いつぶし枯死させたように、今度は専制主義―――ローエングラム王朝も枯死させる気だ。ヤツならばやりかねん。そうなる前に、引導を渡してやらねば。

力を失いかけた指先に、血が巡った。マントの内側に持ったレール・ガンに手がかかる。

「そして自由惑星合营を枯死させたように、ローエングラム王朝も枯死させるというわけか」

マントの下でトリガーに指をかけた。もう、身体には力が入らない。わずかな気力は、思考とこの指を動かすのみ。俺のガンは、こんな男の命を奪うために、最後の射出を待っているのだと思えば、まったく不愉快そのものだ。

「そのためには、敢えて地球教に利用されることも辞さないというのだな」

「違います。地球教を、私が利用したのです。私は何でも利用します。宗教でも、制度でも、皇帝でも。そう、あなたが叛旗をひるがえした、あの皇帝。才能はあっても、人間として完成に程遠い、未熟なあの坊やもね。金髪の坊やの尊大な天才ぶりには、ロイエンタール閣下もさぞ笑止な思いをなさったことでしょうな」

お前ごときに、人としての完成度など批判される筋合いはない。俺は初めて、まだ十九歳だったあの方に初めて会って、心を奪われたのだ。俺の忠誠の全てを捧げる。あの方以外にこの膝は折らん、と。お前ごとき寄生虫のように、強者を利用し口だけで成り上がった者とは違うのだ。常に最前線に立ち、自らの手で勝ち取って今の地位にあるのだから。

指一本、触れることは許さん。

その汚らわしい口に、名を乗せることも許さん。

寄生虫は寄生虫として、俺が始末してやる。

恐ろしく軽いほどレール・ガンを持った手が上がった。わずかに姿勢を変えることすら限界に来ていた身体が、いとも簡単に手を上げるのだ。

照準は狂うはずがない。真っ直ぐに狙いを定めた銃口は、ピタリと止まった。トリューニヒトは笑っている。自分が殺されることなど夢にも思っていないのだ。おおかた、死に迷った男が、朦朧と銃を掲げた。そして撃つ気力もなく死んでゆく。そんな風に自分が殺されることなど絶対にない、と根拠のない自信に満ちているのだろう。

引き金を引いた。それは、狙い通り真っ直ぐに心臓を貫く。俄かに鮮血に染まる胸。高級スーツが見る間に赤く濡れてゆく。

苦痛に歪む顔。人の顔をした寄生虫が、初めて自分の死を悟って恐怖に慄いた。眼を瞠って、自分を撃った男を見る。お前に何の権利があって私を殺すのか、と怒りをこめて。

「貴様が民主共和政治を愚弄しようと、国家を食いつぶそうと、市民をたぶらかそうと、そんなことは俺の関知するところではないが。だが……」

寄生虫がよろめき、床に倒れた。無様で汚らわしいそれを見遣って、眉間に皺を刻む。相当的慢に、再び吐き気をもよおした。同時に、こみ上げる嫌悪感も頂点に達し、金銀妖瞳に鋭き光が走った。

「だが、その汚らわしい舌で、皇帝の尊厳に汚物をなすりつけることは赦さん。俺は、貴様ごときに侮辱されるような方におつかえしていたのではないし、叛いたのでもない」

既に死んでいた。彼にはロイエンタールの想いなど通じるはずはないし、理解も出来ないだろう。自分だけを愛し、人を利用することしか頭にない男だ。彼のように誰かを大切に想い、そのために汚名を着ようともいとわぬなど想像も出来まい。だから、ロイエンタールにも寄生虫であるトリューニヒトは理解できなかった。その存在すら許せなかったのだ。

死を確認したとき、ガンを構えた腕から急に力が抜けた。端から力など残ってはいない身体。ただ皇帝のために仇なす害虫を駆除せんがため、情炎がそうさせたに過ぎない。

だらりと下がった手からレール・ガンが離れ、床に転がった。もう、動かす気力は残ってはいない。

「どこまでも不愉快なヤツだったな。俺が生涯の最後に殺した人間が武器を持っていなかったとは……。不名誉なまねを、俺にさせてくれたものだ」

銃声にあわてて駆けつけた部下に、遺体をかたづけさせた。もう、思い残すことはない。後は、ミッターマイヤーが来るのを待つだけだ。疾風ウォルフのことだ、そう時を待たずして会えるだろう。それにしても……。

視線を動かし、窓の外を見た。陽の高さが移動し、部屋の奥にまで差し込んでいる。いつもと変わらぬ時。こうして、人は死んでゆくのだ。何れは俺が生きていたことも忘れ去られ、何事もない日常が繰り返されてゆくだろう。願わくは、あの方の心にだけ留めてもらえたなら、それで本懐だ。

ふっ……と、わずかな苦笑が浮かぶ。

いよいよ俺も死ぬときが来たようだ。忘れられぬようにと、せめてもの仕返しだ、との思いが、結局は、あの方に覚えていてもらいたいだけだとは、何とささやかな野望になってしまったことか。俺らしくもない。圭角というものが削がれ、まるで善人にでもなってしまったようだ。

瞼が、ゆっくりと閉じた。

暗闇に明滅する唇。ロイエンタール……と、形作るあの美しい口許が。揺れる金色の髪。向けられる瞳は透き通った蒼氷色。母親に疎まれ、愛情を知らず育った俺が、これほどまでに執着し、心底欲した相手。手に入れられぬまま終わるが、それでも何もないよりは、いい人生ではなかったか。

あの方と知り合ってからの俺は、生きている実感があった。行為とは、砂を噛むような吐精感しかないものだと思っていた。だが、あの人を抱いたとき、感情を生むものだと知った。心を締め付けられる痛みも。腕の中にあるという幸福感も。欲して止まない渇きも。そして―――手に届かぬという哀しみも。

肌を伝ってしか解からない、感情。

声が聞こえてきそうだ。

瞼が、重い。

薄らいでゆく意識の中、来客を告げる声。この期に及んで、今更会うべき者もいないが……と、ぼんやりと思った。

「邪魔をせんでほしいな……」

微かに聞こえた扉の音に、大切な人との回想を中断され、不満を口にした。あのまま、心地よい姿を思い浮かべたまま死んでゆくのだろうと思っていたのだ。

「俺は死ぬのではなく、死んでゆく。その過程を、結構楽しんでいるところだ。俺の最後の楽しみをさまたげんでくれ」

死の影が、直ぐそこまで来ている。いや、彼を背中から抱きしめようとしていた。額には汗が浮かび、苦し気に唇が少し開いている。わずかな空気しか必要のなくなった身体だが、その量さえ賄えているのか疑問だ。負傷して一週間。もはや激痛は麻痺し、極度の鈍痛を伴う倦怠感だけが残っていた。何れはこの感覚も遠くなってゆくのだろう。

「久しぶりね。やっぱりお前は大逆の罪人となったわ」

想像に反した女の声で、彼は目を開けた。ぼんやりとした景色の中に、人影が見えた。女のようではあるが、焦点が定まらず固有を特定できない。

しばらく見つめていると、記憶の片隅にある面影と重なった。

「リヒテンラーデ一族の生き残りか」

思うように舌が動かない。けれども彼が思うより、声はロイエンタールらしい低い声音を発していた。

意外な人物の来訪に、その意味を考えて苦笑する。俺は無様に敗戦し、そして武器を持たぬ男を殺して、最後に陵辱した女に殺される。ここへ来て、自分のして来たつけが全て回ってきたのか。

「お前が自分自个儿の野心につまずいて、敗れて惨めに死ぬところを見物に来たのよ」

身分を強く主張し、俺を蔑んだ女。歪んだ精神の果てに、陵辱の限りを尽くした。

気の強さだけが、あの方に似ていた。手に届かぬ苛立ちと、背を向けられる拒絶に、俺の鬱積は肥大する。それは、おのずと行き場を探して彷徨った。はけ口が欲しかったのかもしれない。憐れな、女。俺のはけ口にされて。

「そいつはご苦労だった……」

詮無きことをしたのだと、後になってから思い知った。だから、その時の報復をさせてやってもいいのかもしれない。ある意味、漁色家と言われた俺の最期に相応しいかもしれん。

「もう少しだけ待ってみるがいい、望みが叶う。どうせなら俺も女性の望みを叶えてやりたい」

言葉を紡ぐのは、非常に体力を必要とした。もう、残されてはいないのに、ミッターマイヤーが来るまで保たせなければならないのに、尽きつつあるのは誰の目にもありありと見て取れた。

「それにしても……、ここまで誰につれてきてもらったのだ?」

「親切な人に」

それでも、言葉を紡ぐのは、どこかに死の扉を開けたくはない思いがあったのかもしれない。この世に、あの人のいる世に留まっておきたいと、無意識に願っているのか。

「名は?」

「お前の知ったことではないわ」

「そうだな。確かに俺の知ったことではない……?」

初めは幻聴かと思った。こんな場所で、こんな声が聞こえるはずはない、と。けれども続いて聞こえた声に、彼は死力を振り絞って焦点を合わせた。

彼女の腕には、何かが包まれていた。やわらかで丸味のあるものが。それに縁遠い彼には、最初知道できなかった。けれども認めざるをえない。彼女の腕に抱かれる―――赤ん坊の姿を。

褐色の髪。桜色の肌。あどけない笑顔で、この人が父親だろうか、と両目を―――左右同じ色の、彼の左目と同じ青い色の双眸を向けている。

あ……と、驚きの声なのか、それとも大きく息を呑んだためか。

「俺の子か?」

それが自分の子であることは、疑いようもなかった。彼女との関係を考えても、相応の年月がある。何よりも、目の色と顔立ちが似ていた。

「お前の息子よ」

「この子を、俺に見せるために来たのか?」

金銀妖瞳の眼差しは、あどけない笔者が子に注がれる。信じられないものを見るように、わずかな気力を振り絞って、目を瞠った。

俺も生まれたときは、目の色から母親に疎まれた。俺が元で両親は更なる不幸に足を踏み入れ、俺は出生を恨んだ。

お前は―――お前は、そうなるな。

お前の祖父と父は、似ていないようで実は似ていた。どちらも求めたところで、決して手に入りはしないものを求めて、生涯を費い果してしまった。高望み過ぎたのかもしれん。だが、手に入れたいと欲するものは、自分にとって高嶺の花だからこそ欲するのだ。お前は、それを手に入れることが出来るだろうか。それとも祖父や父のように、不毛な人生を歩むのだろうか。

俺は疎まれて育った。だからお前だけは……。

せめてお前だけは、人として親になるべき相応しい夫婦のもとで育つがいい。そうすれば、俺のようにはならんだろう。

「梁国の、偉そうなヤツが、偉そうに言った言葉がある。死ぬにあたって、幼い子供を託しえるような友人を持つことが叶えば、人生最上の幸福だ、と」

ミッターマイヤーに抱かれる我が子。傍らには、寄り添う妻。皮肉にも彼らには子が生まれなかった。どうか、彼らの許で、賢明で実りある人生を歩んで欲しい。

「ウォルフガング・ミッターマイヤーに会って、その子の将来を頼むがいい。それがその子にとっては最良の人生を保障することになる」

死が、彼を抱擁する。もはや、瞼すら支えられなくなった。体温を奪う汗が額を濡らし、鎖骨の上から滲み出る血が、身体を伝って足許に広がった。

長く話したことで、死の階段を昇ったのだ。鈍痛すら麻痺して、気の遠くなるような、ふわふわと身体が消えるような感覚に囚われた。

「殺すなら、今のうちに殺すのだな。でないと、永久にその機会を失う。武器がないなら、俺のブラスターを使え……」

一瞬、ふわりと浮く感覚に包まれた。けれども直ぐに、椅子に押さえつけられるほどの圧迫感と鈍痛に襲われる。死して、ヴァルハラとやらで目を覚ましたのか、と恐る恐る目を開けた。

つづき・・・

――― 天国への階段 最終話 ―――

視界には、霞みながらも見慣れたデスクと、女物のハンカチが。どうやら死に神にすら見放されたらしい、と小さく吐息した。

ぼんやりと視界に残るハンカチ。女と交わした会話と、わが子の双眸が思い出される。どうして望みを果たさなかったのか、永久にその機会は失われるというのに。それとも、俺には殺す価値もなくなったということか。

ハンカチだけが、視界に映る。女の声は揺れていた。自分の望みが叶うというのに、それを実行せず。言葉を発する度に、命の炎が尽きようとしてゆく俺を、不安げに見つめていた。

霞んでゆくハンカチ。陵辱し続けた記憶が、今更重くのしかかってきた。美しい手に見惚れ、力でねじ伏せることで、思い通りにならないあの方への、征服欲を誤魔化そうとした。

詮無きことを。何処まで歪んでゆくのか……。

手が自然と伸びた。そんな力は残っていないはずなのに、指先がそれを掴む。しっとりと濡れたハンカチ。まだ、感覚が残っているのか、とぼんやり感じたとき。

「あの女の方は出てゆかれました。あの、この赤ちゃんをミッターマイヤー元帥にお渡ししてくれとのことでしたが……。どうしたらよろしいでしょう、閣下」

従卒の少年が、両腕に赤子を抱いておずおずと入室してきた。慣れない赤子に、両手を緊張させて当惑している。

彼の口許がわすかに歪んだ。抱かれている子供が自分に見えたのだ。わが子を害そうとし、そして自ら命を絶って先立った母親。後に残されたのは、幼かった俺。

二代に渡り母親は去り、子は残る。どうも父親に似ているようだ。だが、そうであればこそ、父とは違う途を歩んで欲しいと願う。誰、憚ることのない人を愛し、身を削り合うのではなく、慈しみあいながら、ともに歩める人生を。そして死に際し、自分が築いて来たのだ、と誇れる軌跡を残して欲しい。

抱かれている青い色の双眸が、父を見て笑った気がした。

彼はまだ知らない。この約八个月後、幸せを願ったわが子は、彼の愛した君王の子の手を取り、忠誠を誓うのだ。彼の目を奪った眩しい黑色の髪を受け継いだ、贰代目となる幼き国君に。

誓った忠誠は何処へ向かうのだろうか。幼い二人の行く末を知る者は誰もいない。けれども皆、父と同じ途だけは歩むな、と願うだろう。

「すまんが、ミッターマイヤーが来るまで抱いていてやってくれ。ああ、それと、そこの棚にウイスキーが入っている。グラスを二個出してくれないか」

従卒の少年が、片腕に子供を抱いたまま、言われたとおりグラスを出した。注がれてゆく琥珀の色。幾度となく酒を酌み交わして来た、親友の姿が見えた。自らその資格を失ったことに、愚かだとは思うが、それでも後悔はない。

願わくは、もう一度、卿と酒を飲みたかった……。

「遅いじゃないか、ミッターマイヤー」

覚えているか、ミッターマイヤー。俺がノイエ・ラントへ赴任する前夜、卿と飲み明かしたときのことを。

俺が、卿の一途さをからかい、奥方のほかに想う女はいなかったのか、と尋ねると、卿は笑って妻以外の女は考えられんと答えた。そして、逆に問うたな。

そういう卿こそ、本気になったことはないのか、と。

酔いも手伝って、思わず、あるさ……と、答えると、卿は興味津々で話を聞きたがった。

酒に酔い、遠くへ赴任するのだ。それに卿があまりにも子供のような顔で聞きたがるものだから、俺も思わず饒舌になった。

「……まあ、遠い地に行くのだ。置き土産に教えてやろう。あれは五年前になる。俺とした事が、一目惚れと言うやつかもしれん。身分がと言うわけではないが、高貴な方でな。目を奪われるほどの美人だった。輝くばかりの金髪と、冷たい光りを放つ瞳が印象的な人だ」

益々興味を覚えた卿は身を乗り出して、そんな女が貴族の中にいたのか、と首を捻り、で、その相手とはその後どうなったのだ……と先を聞きたがった。らしくないことだ。本来、自分から話さないことは、敢えて触れない主義の卿が、な。

互いに、相当酒に酔っていたのだろう。俺も心のどこかで、誰かに知っていて欲しかったのかもしれん。俺とあの方が、確かに同じ時を歩いていたことを。それが幻でなかったと、誰かに証明して欲しかったのだ。だから、俺も思わず、そのとき脳裏に明滅した光景のままを語った。

「一応貴族の出だが、主流からかけ離れたライヒスリッターさ。だがな、不運なことに、その方にはすでに相手がいたのだ。しかも揺るぎようのない絆で結ばれた相手がな……」

ほう……と、両腕を組み、ミッターマイヤーはソファーへ深く凭れた。これは長い話になりそうだ、と感じたのだろう。それに、友人の秘めた部分に触れてしまった、と恐縮して、せめて真剣に聞くことで侘びたのだ。彼はそういう男だ。

「……幸運と言うべきか、その相手が死んだのさ。俺は度しがたい男だ。その時内心、これで自分のものになると喜んだ。だがな、ミッターマイヤー……喜んだのも一瞬、すぐに俺の手になど入らんと思い知らされた。その相手は死してなお、あの方を放さん。あの方も誰も寄せ付けようとはせん……」

察しのよい男だ。卿の顔色が見る間に悪くなってゆくのが見えた。卿は気付いたのだろう。思い当たる人物があって、その恐ろしさに否定を求めたのだ。だから、なお問うた。

「その方とは……その、寝た事はあるのか?」

知っているか、ミッターマイヤー。あのとき声は、上ずっていたぞ。十三分動揺したと見え、大軍を指揮する宇宙艦隊司令長官らしからぬ揺れた声だった。それに、問うたのは卿だ。小编が答える前に、後悔してどうする。

「……ある。相手を失って、悲嘆に暮れているところにつけ込んだのさ。俺はどうしようもない卑怯者かもしれん。何度か寝たが、肌を合わせる度に、その方は死んだヤツに申し訳ないと自分を責めた。そして回数を重ねてゆくにつれ、虚しさだけが残った。最初はな、それでもいいと思ったんだが、人間欲が出るものさ……」

青ざめてゆく親友の顔。否定を期待したのに、返って確信を得て。知らなければよかったと後悔したに違いない。

お前のように、常に正道を歩き、愛する女を妻に娶った男に、俺の歪んだ感情は理解できんだろう。だがミッターマイヤー、悪いが卿が想像したことは外れてはおらんよ。

「……手が届かんのだ。焦れれば、焦れるほど遠く感じて、日増しに手が届かなくなる……」

目を閉じ、強張った顔。卿は言葉を失って、酒に酔って眠った振りを決め込んだ。それ以上聞きたくはない、と無言の拒絶だったのかもしれん。だが、不思議と俺の心は少しだけ軽くなった。

引きずられてゆく闇から、ほんのわずかでも卿のいる正道に戻れたのだろうか。それとも、誰かに知ってもらうことで、気が済んだのか。

「……俺は誰かの身代わりでもなく、大勢の中の一人でもなく、たとえ憎まれてもいい、オスカー・フォン・ロイエンタールとして、あの方の心に刻まれたい。この頃の俺はそんな事ばかり考える……」

眉間に刻まれた皺が、これ以上の告白を拒絶しているようだった。俺は酔って眠ってしまったのだから、何を言っても聞こえんぞ、とでも言っているように。

ミッターマイヤー、卿に解かるか?

愛してはならぬ人を、愛した苦しみが。慈しみなど必要とせず、身を削りあって血を流す愛し方があるということが。性別など関係ない。傷付け合うだけだと知りつつも、どうしても身体が惹きあうということが。

卿には解かるまいよ。

解からんだろう。

卿と、俺とでは歩む途が違うのだ。卿は陽のあたる正路を。俺は、渦巻く闇夜しか歩けんのだからな。

ミッターマイヤー。

俺は、卿を恨むぞ。

俺は―――。

俺は、戦いたかった。

この手で、あの方と戦って。

この手で、あの方を高揚させて。

蒼氷色の瞳も、彫刻品のような手も、足も、何もかも、俺のためだけに動かさせて。

俺だけを、あの眼に映し。

あの方の、何もかも全てを俺で埋め尽くしてみたかった。だが。

それを邪魔したのは、卿だ。勅命が下ったのは分かる。この宇宙で俺と戦えるのは、皇帝と卿しかいないからな。だからこそ。

何故、勅命を受けたのだ。

何故、拒絶しなかったのだ。

何故―――あの方と、戦わせてはくれなかったのだ……。

恨むぞ。

俺の最期の願いを妨げた卿を、恨むぞ。

だから、早く来い。恨み言の一つや二つ、直接言わねば死んでも死にきれんではないか。

彼は虚ろな視界の中で、遥か後方まで連なる階段を見た。負傷したときから昇り続けてきたそれだ。どうやら、過去をいくら振り返ってみたところで、生還できるヒントは見つからなかったらしい。もっとも彼自身、今更生きることを望んではいないが。

見上げれば、残りの段は後わずか。もう、ヴァルハラの門が目の前にそびえている。立ち止まることが出来ないのは、彼が一番よく知っていた。

また、一段昇った。

「卿が来るまで生きているつもりだったのに、間に合わないじゃないか。疾風ウォルフなどという、たいそうなあだ名に恥ずかしいだろう……」

鈍痛は止み、ふわふわと身体が浮いてゆく気がする。意識も薄れ、いよいよ死というものに迎えられることを知った。

また、ふわりと身体が揺らぐ。

もう、支えることは出来ない。

最後まで整っていたダークブラウンの前髪が、前倒した拍子に、はらりと乱れた。

死が、彼を抱擁した。

痛みが消えてゆく。もう、呼吸する必要もない。

最後の段は昇ったのか、それとも吸い込まれたのか。

鼻を掠める、香り。

甘く、清らかな芳香。

白い花びらが見えた、気がした。

耳許で声が聞こえる―――ロイエンタール、と。

いとおしく、恋しい声が、名を呼ぶ。

華やかに咲き誇る、白い薔薇の花が見えた。手を伸ばせば、甘く清らかな芳香に包まれる。やがて、花は姿を変えた。

金色の髪。艶やかな白い肌。高揚した蒼氷色の瞳。その持ち主が、微笑している。満足げに頬を上気させ、彼を見つめて。

ああ、俺は貴方に、激しい高揚と熱い血を、与えることが出来ただろうか……。

俺の命をかけた報復が成功し、貴方の中に留められることを許されただろうか。

俺を……忘れないでくれ。

生きたい―――。

貴方の中で、生き続けたい。

「我が皇帝……」

出来ることなら今一度、この目に、俺の愛した美しい姿を。

「……ミッター…マイヤー……」

とではなく、我が皇帝……俺と戦って、高揚した貴方の姿を。

そして、俺に―――。

「勝利……」

して、俺は貴方の手によって―――。

「……死」

を……賜りたかった……。

闇に包まれ、死が、彼に接吻した。

呼吸は永遠に失われ、器官の全てが永い眠りにつく。

彼は三十叁歳。

己が命を捧げた人と出逢って、5年半の短き生涯だった。けれども、早風のように階段を駆け上がり、常に全身全霊をかけて生き抜いてきたのだから、後悔はないのかもしれない。いや。

おそらく、ありはしないだろう。

愛するかの人と、遠くはなれたノイエ・ラントの地。銀河帝国軍元帥、ノイエ・ラント総督オスカー・フォン・ロイエンタールの執務室に、少年の弱き声が響いた。

「元帥……、ロイエンタール元帥……」

最期の、口許に零れた微かな言葉を書きとめて、彼は尊敬する元帥の死を知った。

図らずも、死を看取った少年は、自身の書きとめた言葉の意味を知らない。まして彼の尊敬する元帥が、死に際に見た光景など知りえるはずもなく、最期に願ったことも分からない。

それでいいのだろう。この世に残された人は、誰も真相を知る必要はないのだ。ただ一人、彼の願った人にだけ、届いていればそれが全てなのだから。

彼は独り、真実を自身の心に秘めたまま死んでゆく。白い薔薇の花の香りに包まれて、永き眠りにつくのだ。

俄かに聞こえる乳児の鳴き声。

父が身罷ったことを察したのか、ソファーに寝かされた遺児が、泣き声をあげた。少年はあわてて駆け寄り、乳児を抱き上げる。

面影のある顔に、涙が滲む。

元帥を失った悲しみが、とめどなく押し寄せてきた。

毕生懸命にあやす。

自分の方なのか、それとも乳児の方なのか、泣いてはならず、と懸命に、必死に涙を堪えて。

少年は、元帥の最後の言いつけを守って、彼の親友が駆けつけるそのときまで、あやしたのだった。

終わり

(200陆.二.2陆)   加筆訂正(2010/1捌分一)

ラインハルトを愛するがゆえに、ラインハルトの望み通りにしてやりたい。

ラインハルトを愛するがゆえに、他の誰をも犠牲にしてでも、愛する人の欲求を満たしてやりたい。

全宇宙が愚かだと言っても、ラインハルトが満足してくれれば、ロイエンタールは幸せなのです。

彼がたった一人、自ら膝を折ると決めた相手。彼にとって、ラインハルトがすべて。

たとえ報われることはなくても、ロイエンタールの最期は幸せだったに違いない。

ラインハルトが殺してくれと言ったら、キルヒアイスは出来ないと首を振る。頼むから生きてくれ、

考え直してくれ、と説得する。けれども、ロイエンタールならば、

間違いなく殺すでしょう。そして、すぐに後を追う。

キルヒアイスの愛し方と、ロイエンタールの愛し方はそれほどまでに違うのだと思います。

ならば、ラインハルトにとって幸せなのはどちらなのでしょうか。

相手として選ぶのはキルヒアイスであっても、キルヒアイスから与えられるものが幸せであっても、

殺してほしいのに、生かされる苦痛。殺してほしいのだから、生から開放してくれる快楽。

正しいからと言って選択した道が、必ずしも幸せではないと言う事実。

はあ~分らん。

キルヒアイスの愛し方と、ロイエンタールの愛し方。果たして、深いのは、強いのはどちらなのか。

う~ん分らん。

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